二〇〇二年 平成十四年三月発行
二〇〇一年 平成十三年度 第二六回会報より 玉野叔弘

土佐錦魚 種魚 思考 一

『種魚と飼い方とどっちが大切ですか』
 良い土佐錦魚を作るうえで何度か投げかけられた質問です。そんな時には決まってこう答えます。
『飼い方を理解していない人には、種はまったく問題になりません』
『魚や飼い方を理解している人には、種はとても大切と同時に、土佐錦魚作りや産卵の大前提です』
 この間、ランチュウを一角に飼っている侍が、
「二五%、飼える人に種は二五%影響する。飼い方七五%」と言っていました。
 これはほぼ固定されたランチュウでの話。土佐錦のようにまだ不安定な魚にはピッタリと当てはまりません。と同時にこの答えは、会で優秀な成績を収めようとする魚を、対象にしたものです。
 ここではもう一つ付け加えさせて下さい。
『種は将来に残してはいけない魚と残すべき魚に、大きく二分されます。これは会魚とか良魚とか言う前の、種として守るべき基本中の基本です』
 金魚全般に言える欠陥とは別に、一つでも土佐錦魚を土佐錦魚でなくする欠点がある場合、他全てがたまらなく良くても、目を瞑って淘汰することが必要です。実験観察を除いては、秋まで育ててはいけない魚です。
 改良して行かなくてはいけない欠点は、一見欠点としては見逃されやすく、また、有っても気に掛けず品評会で優勝したりします。ですが、土佐錦の将来を百年の計を念頭に置いて、理想の土佐錦へ近づけるために、徐々になくして行く方向のものです。この主旨が後継者に引き継がれ、土佐錦を次第に充実させ、やがて土佐錦魚を高水準へと導きます。
 残すべき利点は、薦めるべき利点、理想の土佐錦魚に近づけるための利点に通じます。
 このいろいろな項目を分析し、再構築して経験を重ねて行くと、選別の目安が出来上がります。残す魚も自然の流れとなり、土佐錦作りと相まって、淘汰に残された魚は自然と土佐錦らしさを身に付け、無理をしなくても良い種魚、良い会魚となります。
 会に出すと、良い成績を求め納める事が必然の成り行きとなります。本来選別に種魚と会魚の区別はありません。種魚はどこかに欠点を持っていて、会に使えない魚ぐらいに思われることもありますが。そこに品評会が在るが故に区別が生じます。
 品評会では欠点の無い魚が有利で、欠点があると鮮烈な輝きのある魚も、落とされてしまうことがあります。それは欠点で審査する事は易しく、利点で審査する事は熟達を必要とするからです。熟達した審査は選別、飼育にも通じ、それは種魚(土佐錦魚にはなにが必要か)を、理解しているからです。飼育は土佐錦魚を作るため、これは理想の土佐錦魚への種作りに他なりません。それは脈打つ血と伝統の継承です。そして種魚作りは、毎日のコツコツとした地味な作業が支えます。
 種魚はケの世界であり、会魚はハレの世界です。
  なぜ、種として残す魚、残さない魚
 コツコツとした作業の一つに辛い淘汰があります。なぜ、残すのか残さないのか。これには単に欠点が有るからと片付けられない、生命の尊厳がかかってきます。残さない魚は生命を絶たれるからです。そして残されない不幸な魚の方が遥かに多数です。心痛む不幸を多くしないためにも、また、土佐錦魚のそもそもを踏まえておきましょう。
 土佐錦魚の成り立ちは、度々持ち出される中国を出発地とする、日本海ルート+江戸ルート説と流金突然変異説の二説です。私が田村さんから教わったのは日本海ルート+江戸ルート説です。流金突然変異説は学者が、流金の中に土佐錦を思わせるような奇形が、出る事が根拠です。元々土佐錦は流金に似ていますから、発想からは当然かも知れません。現在金魚の遺伝子の研究室に通っている、現役の人に聞いてみました。意見としてはやはり流金突然変異説のようで、学問的見方をすると、そちらへ傾かざるを得ない何かが有るようです。
『遺伝子を調べれば土佐錦のルーツが解るのではないでしょうか?』と質問してみましたが、他の金魚は多少解るけど土佐錦魚は解らないそうです。
「どうにもならない、規則性も掴めない」そうです。
 突然変異説なら枝分かれしたにしても、ある程度掴めそうな気がします。この時点では流金突然変異説の強い立場は得られないような気がします。
 反面、解明する事も心もとない複雑な遺伝子は、一つのものからと言う単純な変異からではなく、複雑な遺伝子同士の絡み合いによる産物とも言えます。掴めない遺伝子がなおさら掛け合わせによる妙を、示しているように感じられてなりません。
 さらに質問しました。
『土佐錦を採卵すると、色々の中国金魚が出て来るのはどうでしょうか』
「流金は全部の金魚のもとなので何でも出てくる」とのことでした。
 土佐錦は流金からだから中国金魚も出てくる。こう言ってしまうと、全ての金魚は流金の突然変異と言い切れてしまいます。流金の元は和金だから、土佐錦は和金から出たとも言えてしまいます。
 掛け合わせ説のナンキンの元のマルコは、流金とは似ても似つかない金魚です。金魚の系統樹のどの辺りから分かれたのか、流金からか流金より前か後か、遺伝子的に証明されているのでしょうか。やはり釈然としません。
 流金の卵は観察したことがないのですが、そんなに土佐錦より中国錦魚が出てくるのでしょうか。当然土佐錦よりも流金の方が多く出てこなければ、少しおかしな論になりそうです。流金の率を知っている方、教えて下さい。
 土佐錦を採卵すると昔は花房、スイホウガン、チョウテンガン、紫がかった黒や茶金ような様々と言える中国金魚がでてきました。チンシュリンは今でも出て来ます。そしてまるでナンキンに近いもの、ランチュウのように背鰭がなく奇麗な背をしているもの、顔も似たものまでいます。
 四十年程前には、高知で手広く商売していた人が、黒出目金を掛けてしまったため、たまに出目を連想するものが見受けられ困っています。魅力的とも言える黒が出ましたが、これはルーツとは関係ないので除外します。今では少なくなってきましたが、中国金魚の出現は、実際の採卵選別作業現場で経験すると、流金突然変異説は納得から遠退いていきます。逆に日本海ルート+江戸ルート説を裏付けているように思えてなりません。
 一つ気がかりなのは黒出目金を掛けた人が、色々な中国金魚も飼育していて、無造作に掛けてしまっていたと言う事です。高知らしいと言えなくもないのですが、田村さんの言葉を覆す事には至りませんが。中国金魚が土佐錦から出て来る事が、中国伝来の根拠として即座に示すには、一つの不安定要素になりそうです。
 この田村さんは最初に土佐錦を作った須賀亀太朗さんに直接聞きいています。私がその田村さんとお話出来たことは至上な光栄と幸運に感じています。
 私は田村さんに敬意を表して、伝承することにしています。
 矢野城楼さんの本に詳しく書かれていますので、ここではいつものように簡単にします。和金流金が参勤交代の時に江戸から伝えられて須賀家が養うようになった。亀太朗さんの父上の克三郎の時代に描かれたであろう絵には、和金に平付けした尾の魚になっています。亀太朗さんがこのような魚を元の一つにしたことは、大いにあり得ることです。土佐錦が長くなりたがったり、和金みたいな体になったりするのは、この辺りからの影響が出ていると推察しています。
 亀太朗さんがもっと丸手に魅力を感じてか、元の魚と流金を掛けて比較的丸手を作っていた(想像)。そこに当時目新しかった流金が手に入り、大阪ランチュウとかけ合わせてみた(推測)。田村さんの話は、当時亀太朗さんが飼っていた大阪ランチュウと、流金(張りが強かったようです)とをかけたと言っていました。
 さて、ここに土佐錦魚に影響を与えている魚が、三つでてきましたが全部出揃うにはもう一つ、大阪ランチュウの前身であるナンキンを加えて下さい。採卵でナンキン型を毎年目にするため、除外する訳にいきません。これも推察ですが当時はまだ、ナンキン気の抜けきってない大阪ランチュウだったか、瘤の少ない魚だったか。亀太朗さんが土佐錦の型を定めるときに、口の小さな目先のあるものとする縁りが、その辺りと推察できるからです。
 亀太朗さんは昭和十二年八十二才までご存命でした。明治中頃には土佐錦が出来たと思えます。序序に理想の形を決めて行き、理想の形が定まる程に、明治前期が生成期、後期が形成期、大正が充実期、昭和戦前まで全盛期が訪れました。戦火、南海大地震からは田村さんの舞台に移ります。
 さて長々成り立ちを述べて来ましたが、四つの元の金魚、和金、流金、大阪ランチュウ、ナンキンを亀太朗さんの定めた理想の土佐錦に当てはめてみます。
 二十四回会報『土佐錦は』に同じようなことが書かれているので読んだ人は話が早いと思いますが、種という別な角度を持ってもう一度読んで下さい。
 口の細さはナンキン、目幅、顔の線もナンキン、顔から腹の線、口~おでこ~肩、背にかけての線もナンキン。
 基本体形、体の丸さは流金、背鰭も言わずと流金、尾の大きさも流金。
 背から尾筒は大阪ランチュウ、平付けも大阪ランチュウ、金座も大阪ランチュウ。
 基本形は流金で、上品さの出る顔から腹の線はナンキンを採っています。
 丸い体と大きな尾は流金で、奇麗で締まりのある背は大阪ランチュウです。
 もう一つの和金が出て来ません。それは理想体から切り捨てられてしまったからです。和金の長い体から流金の丸い体へ移行し、捨てられてしまいました。大阪ランチュウの顔、流金の肉付き。この辺りは下村さんがいつも五月蝿く言っていたのを思いだします。
「肩は盛り上がってはダメだ品が無くなる」
 顔と背との境、付け根の背を肩と言って、
「盛り上がると流金になる。土佐錦は流金とちゃう」
 さらに背まで盛り上ると背瘤と言っています。側面は鰓との段差、下は鳩胸、顔の付け根を三六〇度取り囲む同じ瘤です。体長より体高の高いものは、土佐錦でなく流金と表現されます。この辺りの品に関することは、飼育による割り合いも多くなりますが、
 口数の少ない野中進さんは、
「口は尖ってないといかん」
 近森さんは、
「お公家さんのように口が小さくて上品でないといかん。宮地のおんちゃんは土佐錦を作っちょる私は育てとるだけだ」
(当時田村さんは既に現役を退いていました)
 この言葉は目標でもありますが、現にその魚が存在し、作られ、絵に描いたものでないことを言っています。背形は尖った顔から滑らかな線で背頂に達し、僅か下降線をとり、後に締まりを持った筒として下りて行き、水平な尾(金座)と直角に交わります。付きは大阪ランチュウですが、背から腰は大阪ランチュウと言うより、江戸ランチュウとの特徴と良く似ています。ランチュウと違うのは、尾が平付け(水平)の為に、筒の折りが金座との接点で垂直になることです。
 もう一つランチュウと違う点は、尾芯が差していることです。大きく水平の尾を支えるには、背骨に食い込んで直結するような強さが必要です。
 体は複雑怪奇、四つの元の魚がからみ合うので、選別や土佐錦作りに最も苦労するところです。尾からすると体は、際立つ特徴がないので、素人は流金と勘違いしてもおかしくないところですが、土佐錦の品を現す体は、玄人好みするところです。着物に例えると、派手や華麗で人目を引く表地よりは、裏地に凝るような粋でオシャレの場です。そして、品を醸し出すところでもあります。
 体は複雑怪奇でも尾は明解で土佐錦魚独自のものです。その尾こそ土佐錦の象徴で、最初は尾に魅せられて土佐錦への切っ掛けとなるのが普通です。
 この尾なくして幾度と訪れた絶滅の危機は、乗り越えられなかったでしょう。
 水平に広がる大きな尾、体軸と直角に交わる渡り、反転。全ての要であり美であり力である金座。それは大きさこそ流金、金座、平付けこそ大阪ランチュウかも知れませんが、それを融合し、遥かに超越し、土佐は総合して創られたものだからです。
 大きくて平付けの尾、それを根元で支える金座、反転、見せる渡り。錦魚の要は金座です、そして付きです。全てを束ねると言えるでしょう。金座は土佐錦の元のランチュウでたまに見られますが、他の金魚には見られないもので、正に土佐錦の輝きそのものです。種魚選びの最重要ポイントの一つです。体の型は和金型、流金型、大阪ランチュウ型(ランチュウ型)、ナンキン型に分けられます。
 一方尾型、反転、付きは独特の呼び名になります。この辺りは選別思考、見方思考に委ねます。

(次号では具体的な残す魚残さない魚に入ります)

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