二〇〇三年 平成十五年三月発行
二〇〇二年 平成十四年度 第二七回会報より 玉野叔弘

土佐錦魚 種魚 思考 二

 残さない魚 四型+その他
 その他の項目を先きにもってきたのは変なのですが、始めにさっさと片付けておきたかったからです。土佐錦魚の型を見る上で必要性に乏しく、体型が伴わないために当歳の中期までに大方ハネられてしまうものを集めました。
中国錦魚(先祖帰りと言えるか)
 二十年程前まではぽつぽつ出たがこの頃はチンシュリン以外はほとんど出ない。
 目の下に揺れないまでも水泡がつき少し目が出ぎみ。
 背鰭が痕跡程度で目が一回り大きく上付きで半分上を向く。
 花房と言える大きさで揺れるが、花房以外は土佐錦と同様。
 高茶色より茶色がかり茶金を思わせる。
 色が僅かに青っぽい。
 チンシュリンは腹の出が良いため、割りあい遅くまで残ることがある、鱗の凸凹は消えて行くが体型が残るので不自然。
 他、奇形欠陥は記さない。
和金型(かけ合わせの元と想定される。尾に開きのある和金)
 体が和金のようで長い。和金の体が土佐錦の尾に付いている様子。案外意外とそんな魚が、今日でもよく見られる。歳を重ねるにつれ腹が痩せて、鰓より腹が出ていなくなる魚もあえてこの型に入れる。腹が鰓近くより尻つぼみになると最悪。筒も細め長めになりがちで、ここに書きとめることも必要ないのだが、逆し向く心配がなく、また泳ぎ易いためか不思議と尾は良く、成長速度が最も速いので素人好み。
流金型の欠点がある魚
 主に瘤付きを言うが、体長を縮めてしまうと同時に付きの位置が高い。飼い方でそうしてしまうことがとても多く、また土佐錦の体は、基本的に流金様のため紛らわしい。素質としては同じ飼い方の中でその魚だけ縮み感がある。
 流金型の場合は太り易い、縮み易い、瘤が付き易い。付きが高くなり易い、鱗が荒くなりやすいという傾向的なものになる。成長の速さがこれを助長する。これは何れも品を害し、尾とのバランス、安定性を悪くする。
 むしろ特徴は尾にある。金座の付きが甘くなり、山付けになりがちで、金座の大きさはあっても押さえに力や張りがなく、土佐錦の平付けに風采を欠く。また、尾芯のたわみ下がりを生みやすい。だがどうしようもない欠点ではなく、やはり飼い方によってかなり左右される。
 大きな平付けの尾は推進力を生み出さない。いくら水平の尾を振っても水は抵抗を受けないからだ。後進の方が上手な魚も珍しい。水平の尾は上から水圧、下から浮力を受ける。弱いところからたるみが生じる。たるみは空振りの尾に格好の推進力になる。発達してしわになる。そして形質になる。土佐錦の素質としたもの以外の流金型の欠点は、甚だしい欠点に見えず、改良して行かなくてはいけない欠点に近いが、原形としての強い遺伝子を持つ。
ランチュウ型の欠点がある魚
 最大の難点は顔にある口、肉瘤そして目幅にある。土佐錦魚がカエルになりたがるのはここにある。顔がランチュウ型腹が和金型は悲惨。背に太身を持ち腹形がシッカリして締まりはあるが福よかさに欠ける。また尾の立ちは芯のシッカリとしたランチュウ型の失敗作。また、わりと固めの尾にわりと硬い弛みが出る時がある、くびれと表現している。尾の後と前とのつながりの返し元と紛らわしいがたるみが大きめでしっかりしている風で尾形を形成の一部。くびれはたるみ、しわ、ひだと違って100%最初から遺伝子に組み込まれている。遺伝力が強く、平付けを損なうことが大。固めのシッカリした尾はランチュウ型がもたらし尾芯が短かったりしわは少ないが桜尾から四つ尾を出しやすい。粗めの鱗。
ナンキン型の欠点
 尾筒の細さ、締まりの無さが難点。締まりが無く筒がえぐれたように細くなったり、体は丸いのに筒伸びがでる。大きい尾を筒が支えきれず力感なく、せっかくの尾や体を活かしきれない。背の後半からは全て他の魚型に譲る。

 残す魚
 これからは型の利点の抜粋です。それぞれの魚型から良いところだけを取り上げて繋いでいきます。複雑ですがその結晶が土佐錦魚です。作り上げた方方の凄さを感じ高知に敬意を表します。私が教わるために通った頃、高知の方はたいへん理屈っぽくてこだわりを持っていました。そして誇りを。
ナンキン型の利点
 今でもナンキンそっくりで尾を大きくしたようなものがぽちぽち出る。これでは欠点も利点も持ち合わせているので研究観察用になるが、利点が活きた魚の顔は餌を食べ過ぎても瘤が付きずらく、口が小さく目先があり、この顔だと閃く魚ができる。土佐錦の顔作りの元がここにある。むしろ食べ過ぎると顔より顔回りの体に瘤が付く。盛り上がりをつけるまでの肉付きは繰り返しの失敗で無い限り付きにくい。顔から腹までの線が比較的直線でスッキリとしている。腹型は放慢ふくよかで丸みを持ち後腹が張り、極端には三角を呈する。
 卵型にあらず、苺に例えられる。体がナンキンの特徴を多く備える時は、やや長手になるが目先の長さ腹の出をもって余裕となる。肌合いは鱗に滑らかさを持ち、白が輝く。尾は後小さく前に迫り出し難く、一文字を現わし、板前を作りやすい。後年に大成するが待ちきれずして経験無く忌み嫌われて淘汰されやすい。 玄人好み。
ランチュウ型の利点
 背、筒に太身を持ち力を与える。広き尾を支える骨格を秘め金座尾を支配する。締まりある筒は下方に下り、付き高を抑制する。付き明らかにして金座輝き冴えわたる。前に迫り出し押さえを導き反転を確かにする。尾に厚みあり、尾先きまで支えゆきわたり、しわ、ひだを跳ね返す。色模様は大阪ランチュウを用いたとされる。
流金型の利点
 体丸くして卵型を呈する。顔から背にかけてもナンキン型よりやや弧を描く。顔、体共に直線的に非ず丸みを帯び穏やか。鮮烈さはないが力感を兼ねることができる。その場合穏やかさとの駆け引きになる。その尾広大にして弱からず。袋、花びら漂うが如し、が、流されることなし。一見一般受けするが奥深く、また崩れ易いので気の入れ甲斐がある。
 土佐錦魚の理想型は一つでも、土佐錦魚のタイプは一つの型でないことが感じられると思います。基本形の流金型、一歩進み出したナンキン型、両者を確固のものとするランチュウ型、そして、良いところを結びつけた理想型。貴方はどの型から理想型を目指しますか。理想型はランチュウ型の骨格に、流金型の体をつけ、ナンキン型の顔を持ち、ランチュウ型の付きがあり、尾は流金型の大きさでランチュウ型の張りを持つ。
 あなたはどの方向から挑みますか? 一角の侍になるとその人なりの型が出来てきます。魚を見ると飼い主が判る程です。その人の人格すら浮んできます。その人と魚とが相まって作り上げて行きます。そうして出来上がった土佐錦魚の形を、わたしは作り上げた方のお名前で呼んでいます。
 野中(進)型、近森(実)型、刈谷(稲美)型、矢野城楼型、矢野(忠保)型、門田(真澄)型。
 門田さん(真澄さんとはちがいます)、片岡さんから野中さん、近森さんが受け継ぎました。刈谷さんは野中さん近森さんと矢野忠保さんからの系統を。矢野城楼さんは野中型を中心に。門田さんは近森型を中心に。矢野忠保さんは矢野養魚場を経営。

 改良してゆくべき点
 飼っている魚に丸手と長手がいるとします。かけ合わせたらどうでしょうか。中間手ができるでしょうか。普通はそれを望んでかけ合わせます。すると丸手と長手と中間手と左右半分丸手と長手、前後半分丸手と長手、これでも五型です。その比率はメンデルの法則も当てはまらず、学者でも定められませんので、数百尾では全部を確認できないかも知れません。それに加えて丸手の尾が幅広で長手の尾が幅狭だとしたらさらに複雑に。それに部分が混ざったのが出てきます。そして両者の受け継ぐ優勢遺伝劣勢遺伝が、になるともうごちゃごちゃです。
 実際はどちらか片方に似たのが出るか、三型から五型程プラス突拍子もないもの。洗練された遺伝子なら残った魚は一、二型、荒れた遺伝子ならやたらハネが多くて残った魚が面白かったり、先祖帰りや全部使えなかったりします。
 片腹は体が丸手長手の混ざりあい。ランチュウ型ナンキン型流金型の混ざりあい。ごく小さい時は餌のやり方で片腹になりますが。これは少し直せたり、種魚にはさして差し支えありません。当歳の秋近く、また歳を重ねてからなってくる方が遺伝的要素が強くなります。これは和金型が歳と共に出やすくなるのと同じで化けの皮が剥がれると表現します。 尾の後の違いはタイプの違う魚の混ざりあい。左右の大きさや強さ、幅広と幅狭が片方づつ、長と短が片方づつ、丸いと角いが片方づつ、硬いと柔らかいが片方づつ。前の違いはタイプの違う魚の混ざりあい。強さの違い、長さの違い、迫り出し押さえの違い、一枚二枚三枚左右の違い、返りの大きさ、型の違い。返り元のちがい。みんなごちゃごちゃから出てきます。良く見ると顔にも出ています。片方だけ肉好きが良かったり、目が大きい、少し出ている、凹目、曲がっている、口でも。見た目もそうですが雌雄にも出てきます。性転換は良くあることですが追い星が出ていて卵を産んだりは前後の混ざり。片方に追い星が出ていて卵を産んだりは左右の混ざり。雌雄に関しては改良すべき点ではないので淘汰されます。
 混ざりあいが出た時はどこまで種に残せてどこまでが残せないのでしょうか。私は良いとこ一つ、悪いとこ二つと言っています。良いとこは、これは土佐錦魚の理想型を備えていると思えるような良いとこ。ちょっとの良いとこではありません。そんな良いとこ、光る良いとこが一つでもあると一度は採卵(採卵とは雌のみでなく雌雄が対象です。念のため)します。ちょっとだけでは様子をみる池に移ります。悪いとこは普通な良いとこがあっても普通な悪いとこが二つあると様子をみる池に移ります。 
 例えば大方が良くて尾幅が違っていたら、産卵に参加させて良いものでしょうか。私は参加させます。なぜなら土佐錦にはそれを淘汰する余力も絶対数もないからです。私の採卵している間に余力ができることを望むと共に勤めとも致しますが、その魚に隠れている形質が良い方向か悪い方向かを確かめる必要があるからです。近森さんが言っていました。「だんだん良くなるものを残さないかん、だんだん良くなる法華の太鼓だ」良い種は小さい時は普通でも育つにつれてだんだん良くなります。悪い方向の種は育つに連れて段々悪くなります。
 タイプの残し方はまず同じタイプ同士をかけます。「近親交配になるじゃあないか」指摘されそうですが、その形質の保存がまず大事です。複雑な絡みあいから出来た兄妹ですから危険性もありますが以外とマトモだったりします。その辺りが土佐錦の特徴でもあり得体の知れないものとする由縁かも知れません。伝説の人田村さんの土佐錦復活劇は数少ない魚から始りました。もし兄妹がけ親戚がけうんぬんがタブーとされたなら、いまの土佐錦の存在は無いはずです。ですが土佐錦の弱さはこの辺りが影響しているはずなので絶対数が増えれば敬遠されてゆくはずです。親戚や同じ形質のものもまた要員にします。そして同じようなタイプのもの、違うタイプのものと発展性を狙ってかけます。違うタイプのものとかけた時に混ざる可能性が多くなる訳です。狙いが出ているような感じを持っている雰囲気。見事両者の欠点を克服して良いところだけが残るような結果は今まで一度もお目にかかったことが無いのでこんな言い方になります。この微々たる発展性に理想の土佐錦が秘められているのではないでしょうか。

 あなたの好きなタイプが見つかったらそれをベースにして下さい。その魚を元にして発展させて下さい。そして自分の飼育法をプラスさせます。すると好みは十人十色あちこちに違ったタイプの土佐錦が存在するようになります。ただし、良い土佐錦の前提に叶っていなければいけません。善し悪しを自分の物差だけで決めると土佐錦の基準から外れる恐れがあるからです。それが勝手な土佐錦へと流れを変えてしまったりするからです。伝承する後継者としての誇りを旨として、遺伝子を繋ぐ担い手として、けっして自分の意のままを望むことを慎んで下さい。

(次号は今の土佐錦魚に欠けているところ、からです)

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