一九九五年 平成七年九月発行
一九九四年 平成六年度 第十九回会報より 玉野叔弘

土佐錦魚 丸鉢 思考 二

 さあ、今年からは当歳を丸鉢で飼えるぞ。
取りあえずその時の型を五つ並べて、今まで使っていたタライと角鉢で一年目を試してみることにしました。全部の鉢に入れて比べてみると、梅雨の頃にはもう、雰囲気が変わってきました。
 タライの方は色がグレーっぽく、ふっくらして、ソフトな感じ。
 丸鉢の方はグレーに少し茶色を帯びて、固めで、顔つきもどことなく野性味がある。尾も良く流している。
五十センチ×八十センチの角鉢では張り過ぎで苦労をしたのに、
丸鉢ではメッキリいなくなってしまった。そう言えば高知の魚に似ている。
 七月も進み、蒸し暑くなる頃には丸く泳ぐようになった。尾数を減らすにも張り過ぎはいないし、尾をひょろひょろ流しているのに親骨は太く長い。欠点を現さないのか選別が進まない、タライのほうより数が残ってしまう。
 憧れの丸鉢に魚を入れることが出来た満足感と、実際に出て来た成果に、もはや満足の表情だ。
 ところが、大きい角鉢や長い角鉢に入れていた稚魚も、同じような様子をしている。むしろ体長が長めで同時に、尾も僅かに長い気がする。
大きい一つは九十センチ×百二十センチ、
長い一つは四五センチ×百二十センチ、
 四五センチの方がハネが多く出たが、残った魚は同じだ。長さ広さがこの時期では丸鉢と同じ効果を生むのか。言い換えると丸鉢は広さ長さを内包しているのか。
 「素晴らしい」
 もちろん、同じ日に兄弟を無作為に各鉢に入れた訳だが、角鉢小四五センチ×六十センチは無闇に肥って、張り過ぎ、尾の違い、曲りが目立つ。体が詰まって見える。腰を抜かした魚まで出て来た。ハネるのに事欠かない。
 丸鉢は背骨まで矯正してしまうのか。秋には現れるかも知れないが、今は目立たない。良く泳ぐことは欠点を強調しないようだ。
 梅雨が明けるとグルグル回る。ジグザグ泳ぐ、餌を食べてまた泳ぐ。朝より昼の方が大きくなっている。おぼつかない手つきでそれでも懸命に選別する。まるで魚の成長に追われているようだ。 
 この頃にポリタライの魚は、丸鉢の魚より劣り出した。相変わらずソフトで力強い泳ぎがない。背骨に差がついたのだろうか。骨格はこの頃出来るのだろうか。
 木のタライはポリよりましだ。角鉢大と長は更にまし。角鉢小は脱落寸前。
 夕方になるとたまに涼しい風が吹く八月。魚の太りに変化が見えて来た。なんて言ったらいいのだろう。
 角鉢大は水量が多く、良く泳ぎ、よく食べて、よく太り、より大きくなった。長手は長いままに大きくなって、丸手はより丸くコロコロになって、ハッキリしていると言うか、筋肉質の魚は筋肉だけでつまらない感じがする。
 ポリタライはだいぶ親骨が張って来た。渡りの尾先を柔らかく反すので先行きが心配になる。腹も丸みを持って、鱗も荒くない。口から頬、ほほから腹にかけての線に何となく締まりがない。
 それと日中の炎天下、ポリは一番温度が上がる。角鉢大は一番低い。水量から行くと角鉢大、角鉢長、ポリタライ、木のタライ丸鉢、角鉢小の準になる。角鉢小は除くとして、水量に比例しないところを見ると、熱効率と保温断熱に思えてならない。そんな矢先にポリで水温四二度になって、一尾が白くふやけて、一尾がピンクになって死亡、一尾は虹色を帯びたが助かった。他の鉢はなんとか凌いでくれたので、明くる日から暑い日には日除けを乗せることにした。
 丸鉢に関しては他と比べて不安がないので効用を感じる。良いものは何でも癖がなく嫌みがないものだ。やっと自分の土佐錦にお目にかかった気がする。
 やがて魚の前が決まりを見せて来て、土佐錦を呈してくると、より鉢の差が出て来た。去年までは木のタライとポリタライでも魚が出来たと思い込んでいた。なんと無知な。今まで錦魚様の方がたぐい希な素質を持っていたので、飼い主の方が少々へまをしてもどこ吹く風。勝手に良くなってくれていた。何もしてやれなかった今までの、全部の魚に謝ると同時に、そんな私でも楽しませてくれた、錦魚に感謝、感謝。
 角鉢大の魚だけは丸鉢に引けを取らない、それどころか勝るところもある。秋になる前までの泳ぎが功をそうしてか、渡りがあり、前がガッチリしていて、袋も大きい。尾を部分的に見て欠点を探すと、丸鉢の魚よりダイナミックなだけ押しは効くが、ただ、面白味がない。こんなとき「味がない」とよく耳にする言葉はこれなんだ。上品さ、可愛さ、ゆらゆら揺らめいてまるで女性に口説かれているような、ときめきがない。
 体にも同じようなことが当てはまる。ちょっと言い方を変えると、小錦、曙がいいか、それとも若貴か。もう一つ小さくても締まりのある千代の富士か。小錦、曙には申し訳ないが、例えてみればこんなかな。
 ま、どっちにしても好み次第。審査員がスケール、パワーやダイナミックが好きなら、その魚を大会に出せば良し。味に走り小粒でも拾う審査員あれば、その魚も良し。その魚にその鉢。その鉢にその魚。私の好みは意識せずとも決まっている。
 「丸鉢で行こう」
 九月も進み十月になると、夏とは打って変わって、底の方でジッとしていることが多くなった。丸鉢の魚は特に動きが鈍い、止まっているときに前を使う。当歳のこれが何とも言えず可愛いんだなー。
 冷え込んで来たら腹も出て来た。食べた栄養が大きさの成長にならないで、当歳の型の成長に回る。同じ様子の魚の腹が出るか出ないかで、まるで違った魚のイメージなる。出ると、腹から目先にかけての線が冴えてくる。口まで細く見える。ボリュウム、力感が湧き、野性味が後退して、人工的な安心感がリッチな気分にしてくれる。魚なりの生まれながらの性質が現れて、丸手長手も分けられる。
 安芸乃島か旭道山か。それぞれにいい持ち味している。
 この時期でも角鉢大は、冷えが穏やかなためか成長している。大きいだけでヌーボーとした魚さえいる。水量や面積の大きい鉢では、大きくしたい欲望を抑えて魚を締めてゆっくりと飼わなくては。
 丸鉢でもやたら水替えして節度なく餌をやり過ぎれば、角鉢より始末に悪い。
 高知であれほど丸鉢を並べているからには、絶対に訳がある。
 然り、絶対の訳だった。
 初心者としてコツコツ飼って、タライに不満を持ち、
そして丸鉢を使い、丸鉢を知って、やっと入門した気分だ。
 さて、これからの丸鉢作りのために、角鉢大と丸鉢の特徴を並べてみよう。
角鉢大
 角鉢の角で稚魚が一旦停止、
 角鉢の角に隠れて一旦停止、
 側面の陰に隠れて一旦停止、
 側面の影で温度が上がらない、
 側面の縦で対流できにくい、
 水量のあり過ぎは秋に泳ぎ過ぎ、
 水量のあり過ぎは餌の食べ過ぎに注意、
 水量のあり過ぎは冷えない、上がらない、
 水量のあり過ぎは水保ち良過ぎ、
 水量のあり過ぎは水替え大変、
 面積が広いと洗いにくい、
 面積が広いと捕まえにくい、
 面積が広いと見るのが大変だ、
 重量が重いと動かせない、 
 重量が重いと床が心配だ、
 十兆が重いと腰にくる、 エトセトラ。
丸鉢
 丸鉢の円は無限の円、稚魚がグルグル泳ぐため、
 表面積が広いので水面がとても暖まる、
 表面積が広いので水に酸素がよく融ける、
 表面積が広いので魚が結構入ります、
 表面積が広いので風をいっぱい受けとめる、
 表面積が広いので雨の影響受けやすい、
 表面積が広いので冷えの影響受けやすい、
 表面積と側面の角度でもっと水面が暖まる、
 表面積と側面の角度でもっと水面に冷えがくる、
 表面積と側面の角度で鉢一面に日が当たる、
 表面積と側面の角度で鉢一面に当たるので身を隠せない。
 表面積と側面の角度で上下の温度差で来やすい、
 表面積と側面の角度と底面積が狭いので対流できやすい。
 底面積が狭いので秋に泳ぎを止めやすい、
 底面積が狭いので底掃除がとても楽、
 底面積が狭いので余った餌を取りやすい、
 底面積が狭いので稚魚の捕獲がとても楽、
 水量の少ないことは水替えが楽、
 水量の少ないことは餌の食べ過ぎ要注意、
 水量の少ないことは水保ちが悪い、
 面積の少ないことは掃除が楽、
 面積の少ないことは数置ける、
 面積の少ないことは、狭いところでも置ける、
 丸鉢は温度が急変して困る、
 丸鉢は水質急変して困る、
 丸鉢は稚魚が急変して困る、
 丸鉢は全体が一目で見える、
 丸鉢は楽しいな、エトセトラ。
分析、集約すると、夏までにいかに泳がすか、秋にはいかに停めるかに尽きるようだ。

 ちょっと話がずれますが、高知から空港へ車を走らすと、左手の長鶏センターが、観光客に尾長鶏を見せてくれます。ひよこの時だけ外を歩き走り回り、自由な空気と陽射しを浴びることが来ます。一旦尾が伸び始めると羽ばたくこともできない、Uターンすら出来ない、虫がつかないような防虫剤入りの縦長の箱入り息子です。ひよこの時に運動をして体の基本を造り、大切な尾が伸び始めると、切れてしまっては一大事、高い止まり木で身動きできないまま、一生を過ごします。
 土佐錦と尾長鶏は同じ高知で同じように、運動する時期と停める時期、似たところを持っています。土佐錦は狭い丸鉢の中で可哀相にと思いましたが、尾長鶏よりましな方です。今、尾長鶏も血が濃くなって尾が切れやすくなってしまい、他地方の血統を入れて、また一からだそうです。

つづく

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