一九九四年 平成六年十六月発行
一九九三年 平成五年度 第十八回会報より 玉野叔弘

土佐錦魚私考 七

 そもそもから始めてきましたが、少し間があきましたので逆に、錦魚からそもそもに向かってみましょう。
 何故錦魚が産まれて来たのでしょうか。これは多くの観賞魚と共通するところです。土佐錦魚私考五で、人の手で育てられる花と同じと書きましたが、人が育てて人が選別して、そうしないと絶えるか野生に戻ってしまいます。まず体の丸みがながくなり、反転が流れ始めて泳ぎやすくなります。そのうち黒っぽいのが殖えて色付きが悪くなり、尾幅が狭く、つまみが増えてきます。それなのに血の濃さとは関係ないように丈夫になって…………要するに鮒に近づいて行く訳です。
 錦魚は人間によって創られ、人に飼われて進化してきました。あの花が虫によって世代を継ぐように、錦魚は人と共存、否、私と共存、人に依存してきました。私が飼わずにいられなくなるように錦魚が変貌することは、進化になり、人が飼ってくれなければ鮒に戻ってしまう、これが退化になります。人間は勝手ですから鮒に近づくと退化と言いますが、鮒にしてみればその環境に適して、鮒として最高な進化を遂げて来たのです。その鮒の遺伝子をつないでいる錦魚は、野生に返ると野生に適した型の鮒に近づきます。
 人間は猿から進化したと言われいてますが、猿は猿なりにその環境に適した進化を遂げ、暮らしています。それに人間の環境が近づくと、暮らしづくなる訳です。人間に住みやすく便利な都会が一変すると、サバイバルが始まるように、人間は人間なりに、猿はそのように住み分けえいます。鮒の住み分けは少々人間のお蔭を被ってきましたが、人間がのさばるにつれて、人間界に住み分けを伸ばして来たのが、観賞魚と呼ばれています。
 その大本の鮒は、どのように栄えて来たのでしょうか。まず鮒の多くいる所、金魚が自然界で生活できる場所を思い浮かべて下さい。河や川、湖沼に池です。海や清水には向いていません。海は別にして清水と呼ばれる水は、雨が森の地面や地下を通って濾過されたり、ミネラルや森の栄養を含んでいます。住んでいながらも清水には清水に向いた魚を住まわせています。岩魚、山女、沢蟹、カワゲラ。
 山を下って行くにしたがい栄養分が増して、少しづつ濁ってきます。すると鮎、シマドジョウ、源氏蛍、トビゲラと移って行きます。
 さらに下がってかなり濁ってくると、鯉、やっと登場の鮒、平家蛍。
 極めて濁ってくると台湾ドジョウ、イトミミズ、アカムシ(赤色ゆすり蚊)、アメリカザリガニ。
 金魚は鮒より極めて濁った水に住む餌を与えられていることが解ります。
 河の分類にこんな面白いのがありました。
鮎型=信濃川、鴨川、太田川。
鮒型=淀川、白川。
金魚型=多摩川、荒川、大和川。
 実は勝手に鮎型より自然に近い、四国の四万十川、北海道の釧路川を載せたかったのですが、四万十川と釧路川に共通の魚を見つけることが出来ませんでした。
 この分類で学ぶと、共通して気のつく要素は、その河の流域にどれくらいの人口があるかです。見事に人口に比例しています。信濃川より淀川、淀川より多摩川。人口百万以下から百万、百万から一千万。
 山からちょろちょろ流れ出た栄養が川に集まり、次第に植物や動物の栄養を運んで行きます。そこに人間の出した過度の栄養が加わります。ちなみに人間の七割が極めて濁った川の流域に住んでいます。その人間が住んでいるから川を汚したと言えます。
 その汚れが地道に暮らしていた鮒に繁栄をもたらしたのです。その鮒があるとき洪水とかで川から池に住み替えたとします。その池は更に栄養が濃縮して極めて濁った池になりました。青水が良く出来、ミジンコが涌き、イトミミズがゆらゆらして、アカムシが沢山産まれました。
 その時、鮒は思いました。
『このままでいたら僕は沢山いる仲間に負けてしまう。そうだイトミミズやアカムシやザリガニのように、赤くなろう』
 何故か濁った水には赤いのが多い。あながち冗談とは言えない。
 金魚のそもそもは陸上の水へ行って黒くなる前、海にいた頃は、熱帯魚のように艶やかでした。その忘れていた遺伝子を利用すれば容易なことです。
 赤くなった鮒を人間が見つけて飼い始めました。最初は珍として大事にされ、その内ステイタスとして経済に役立ち、そして庶民に愛玩されるようになりました。初期目標の遺伝子拡散に成功したことになります。
 すると赤い鮒は、また思いました。
『もう僕はこの仲間の中にいてもしょうがない、もう一度始めよう』
 こうしていろいろな金魚が出来てきました。金魚の意志と人間が結びついて錦魚が生まれました。
 貴方は“何で錦魚が好きなのか”理解できなくても、どうしてか錦魚を飼ってしまう。それは貴方が錦魚に選ばれた人間だからです。

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