序にあたる部分

 そもそもの地球編の後ろの方から始めさせていただきます。
土佐錦魚思考五と重複していたら堪忍して下さい。地球が火の玉から少し冷えて来た頃から始めます。大気は産に満ちていて、火山がしきりに爆発しています。硫酸は金属を溶かし、塩酸は有機物を良く溶かします。マグマから地球上に色々なものが残りました。火山は燃え残りとして灰を出し、灰はアルカリ性ですので酸を中和して水と塩を造ります。地球の至る所にある塩はこうして出来ました。水は酸を薄めたり、蒸発して温度を下げたり、大気中の物を持って雨として海に戻ってきます。この塩に影響された生物は未だ影響され続けています。
 表面が冷えてくるとマグマは対流をハッキリとさせてきました。数千度の中から表面へ、そして中へ、この対流が土佐錦魚を作った丸鉢と同じなのです。

一九九四年 平成六年六月発行
一九九三年 平成五年度 第十八回会報より  玉野叔弘

土佐錦魚丸鉢思考 一

 地球の中も丸鉢も湯のみ茶碗のお茶も同じ対流をしています。丸鉢はこの対流をうまく使って土佐錦を創りました。偶然か意図か、江戸時代には魚をすり身にしていた、大きな擂り鉢が錦魚の反転を大きくしてくれました。暑い陽射しを避けて、底や日陰にジッとしている時、対流の緩やかな流れは前を使わせます。冷えた時には底のぬくもりにジッとして、水面から太陽の使いが下りてくるのを待ちながら、前を使います。
 高知へ初めて見に行った時、丸鉢がズラッと並んでいるのにビックリしました。丸鉢の魚が逃げるぐらいの視線で、魚の何を見たらいいか解らないまま、一つ一つの丸鉢をいつまでも見入っていました。帰ってから来ていたシャツを脱ぐと、背中の方が白っ茶けて、前と後ろが一目で分かる便利なものになっていました。そう言えば作業をしていた矢野さんが、わざわざ麦藁帽子を持って来て下さり、黙ったまま手渡してくれました。
 それから何軒見学しても、どこにでも、丸鉢が置いてあります。単に伝統だから、そんなことではない実質的な理由があるはずだ。頭を上から押さえつけらるような重さを感じました。
 丸鉢が欲しくてほしくてたまりません。売っていないし、東京には一つもありません。高知から重い丸鉢を持って帰る訳にも行かず、はやる気を押し込めて、頭の中を丸鉢で一杯にして帰って来ました。
『よし、自分で造ろう』
 とは言うものの、気持ち先行ですので、どの型がいいのだろうか?高知でも擂り鉢型(朝顔型)と浅いお椀型と大きく二つに分かれていました。お椀型(浅いお椀)は野中さんが多く使っていました。それもそのはず、アルミを打ち出して自分の型として造り出したのですから。近森さんは擂り鉢型を多く使用していました。お二方の錦魚はハッキリと別な型をしていました。系統の違いはさることながら、丸鉢の違いも切り離すことは出来ません。すると、魚の形の好みで丸鉢の型を決めればいいのだろうか。
「なにを生意気なことを言っている。少しは魚を殺さなくなって来たからって、たまたま魚が良くなってくれたからって、良く鳴る手助けもしていないじゃないか」
 とにかくとしてお椀型は型作りが難しいから、取りあえず擂り鉢型で行こう。
 高知は直径60cmで深さは15から20cmだったから、
 高知には高知の気候、高知には高知の型、まったく同じでも変だしつまらない。
 東京ではどんなと思い、東京の人に聞いてみたのですが、丸鉢を知らない人。
丸鉢でないと駄目かと逆に聞く人。
東京には東京の土佐錦を創るべきだから、丸鉢は必要ない、とまで言う人。
とんでも相手にされませんでした。
 このとき造った型は60cmと15cmと30cm。
 単純極まりない性格ですね。

 図を見て下さい。
丸鉢の型

つづく

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