一九九二年 平成四年十月発行
一九九〇年 平成二年度 第十五回分会報より 玉野叔弘

土佐錦魚私考 四

 初めまして、私は土佐錦魚です。しかも人間に取り付いてしまった錦魚です。私の飼い主は土佐錦魚のために生を受けたことも、一に生命として共存していることも全て知らずに、夢中で錦魚の世話をしています。私の両親も、その両親も、この人は身を削り時を裂いて面倒を見てくれました。故に、私はここに居て見詰められているのです。私はこの人間を神であれ悪魔であれ敬畏をもって「ご主人」と呼ぶことにしました。
 この間のことです。例の如く身じろぎもせず、一心に水面に集中しているご主人の目が、反射を受けてキラッと光った途端、私への語りかけが感じられました。私はいつもご主人の深層に話しかけては、作用してきましたが、接触されたのは初めてです。改めて、ちょっと話しかけてみました。
 私の根源、生の源が形として現した遺伝子をさかのぼって、ズーと遡って、私とご主人の遺伝子が過去で合流したとき、対話が始まったのです。人間は自分の遺伝子が自分のものぐらいに思っているので、なかなか近づくことが出来ません。目を閉じて、深く思いを巡らしたり、じっとして、何も考えなかったりしています。でも、そんな大層なことは必要ありません。目を開けていても動いていても、たとえ聞いていても自分の遺伝子なのですから、自分を素直に開いていれば良かったのです。時に人間はこの作業を瞑想と呼んでいます。
 さあ、自分の遺伝子に乗って過去へ旅立って下さい。誰もが持っている遺伝子は途切れたことのない命の証。そして、宇宙の真理を秘めているのです。その流れに乗ってどんどん進んで下さい。そして後を振り返って見て下さい。今の貴方が遥か遠くに見えるでしょう。小さく見えてもその存在は大きいのです。そして、その流れを汲むと貴方は、未来を感じ垣間見る事ができるのです。その未来に自分がどうあるべきか、その姿を知ることができるでしょう。それが悟りなのです。これが瞑想の極致です。またその源が宇宙の真理であり、その流れが宇宙の知恵なのです。
“瞑想とは自分の遺伝子との対話を言う”
“悟りとはその流れを過去から振り返り、未来のあるべき姿を知る”
 人間は生物のうちで一番勝れていると思っている。霊長類などと名付けて悦に入っている。私達魚類は下等だなんて言いながら、バクテリアと大差ない遺伝子なんて知ったら、気が狂ってしまうかも。
 ますます自惚れが強くなる人間は地球を我が物にして、同じ時間を脈々と営んできた生物をも、勝手にしている。人間も地球に生きる生命体だということを忘れている。昔は自然と馴染み、共に生き、学んでいた。もっとも人間が自然の一員であった頃には、金魚を飼っては居なかったけど。
 ご主人たら私の語りかけの難しさに、古い教科書やら百科事典を引っ張り出して、あっちを開いたりこっちをめくったり、忙しく働き出した。
 では、宇宙大紀行?
 ウ、 地球大紀行?
 いや、錦魚紀行を始めましょう。
 さて、宇宙のそもそもは、人間の宇宙観から始めます。
 日本語の宇宙の宇の字は上下四方の空間、宙は古今往来の
時間を意味します。日本語としても通じそうなコスモスは、調和、秩序を意味します。もう解ってしまった気がしませんか。言葉は適切ですね。何千年前の知恵が歴史を経て創り上げたのでしょうか。一万年ぐらい前の人間と、今の人間の脳は変わっていない。変化したのは過去を積み上げた量なのです。
 古代日本ではどんな考えだったのでしょう。
神様が混乱の世界から天孫降臨、人の世を造りました。上中下があって、宇が神の住む高天原、宙が人の住む中つ国、そして下が黄泉の国。
 古代中国では、やはり混沌からですが、卵が産まれました。その卵から亀が産まれると、もやもやっとした物が昇っていって天になり、どろどろっとした物が流れ出して、地になりました。そして、天と地の間を亀が支えています。
 古代インドでは卵の中に全部納めて、蛇と遊ぶ神から始まり、地獄も天国も、この世も、卵の中です。
 古代ギリシャではバビロニアからの流れが華咲きました。ピタゴラスの定理で有名なこの人は、宇宙を数によって解き明かし、数に意味を持たせています。一は始め、全体、完全。二は対立、闘争、無限の展開。三は調和、美、秩序。流石に凄いことを考えますね。それもそのはず、ピタゴラス教団の教祖さんなのです。今だから気楽に学べますが、当時は団員でなければ習えないことだったのです。
 デモクリトスはアトムとケノンです。簡単ですね。アトムは原子、総ての物は原子で造られている。ケノンは空間。宇宙空間に原子が散らばっているのが目に見えるようですね。アトムは有、ケノンは無。現在でも基本と言える卓越した宇宙観ですが、当時の人には突拍子もなく嫌われていました。
プラトンはマクロコスモス=大宇宙=宇宙全体=宇宙の知恵
     ミクロコスモス=小宇宙=人体  =人の知恵
人は人体の知恵を以て宇宙の知恵を探ることができる。
 アリストテレスは宇宙の中心が地球で、地球から月までを月下界、月から上を天上界、月下界は有変万化、土や水、空気や火。天上界は無変化。プラトンが観念的なのに対して経験論で押しています。
 さて、中世になって宗教が権力と結びつくと、宗教に都合の良い見方をするようになり、科学的なことが抑えられてしまいました。神が創った地球を中心に天動説が受け入れられ、創世には神の造った意志として、神に似せて創った人体を含む宇宙が一つ。もう一つは、神の言葉を人間の言葉に直した聖書です。
 この天動説を止めて地動説を受け入れたのがつい十五年か二十年前の話です。ずいぶん保守的ですね。中世で逆らって火あぶりになったことも頷けます。地動説のコペルニクスはやっとルネッサンスの時を得て、人間的に考えることが出来たのです。キリスト教+再新プラトン主義によって、人間を知るには宇宙を知らなければならない、まず神は太陽を創ったのだから太陽中心でも構わない、 またまた勝手ですね。
 その教会が変わらなくてはならなかったのは、やっぱり時の流れです。コペルニクス、レオナルド、ミケランジェロ、デューラー、そしてニュートンでさえ、神を前提に考えていたことです。この時代の言葉に≪一つから万物へ≫と言うのがあります。これの言葉がビッグバンに繋がっているのです。ビッグバンがその一つにあたるのではなく、ビッグバンを起こした何かが、ただ一つの存在と言うことです。
 ともかく、一つの爆発から始まった宇宙は、百億光年、銀河団の大きさは億光年単位、銀河に大きさは千万光年単位、銀河と銀河の間隔は百万光年単位、太陽系は十億km単位、太陽の大きさは十万km単位、地球の大きさは千km単位。ケノンの中に起銀河団が、ある程度の間隔で散らばっていて、起銀河団の中に銀河団が散らばり、その繰り返しが星団、そして、恒星、惑星と一定に秩序だっている。まさにコスモス=秩序です。
 ご主人感慨に耽るなかでコスモスと言えば、高知の西さん宅へ伺う度に辺り咲くコスモスを見ては、物静かな調和と、秋には迎えてく得れる安心の秩序を、忙しくも人知れず味わっていました。

つづく

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