一九八九年 平成二年三月発行
一九八八年 平成元年 第十四回会報より  玉野叔弘

土佐錦魚私考 三

 品川さん家の温室の工事をしている時、お目にかかった黒沢さんはさつきの会の会長さんです。ひょっとしたご縁で、熊谷のお宅の五月置き場を工事させて頂きました。それはそれは陽当たりの良い所です。庭は既に植木でいっぱい、一回の屋根の上に造ることになりました。工事の際にいろいろとお話を伺う機会がありました。会長さんは自分を語らずとも人柄の温かさが伝わってきます。若い者でも常にたてて下さり、私もその気になって、父親に甘えるような心安きときを味合わせて頂きました。
 ペンキ塗りを三十年もやっていると、考え事をしながらでも刷毛が勝手に動いてくれます。伸びやかな時と、うららかな陽射しが、一緒になって手伝ってくれると、仕事をしながら幸福な気分にひたれます。ボーとしながら夢中で仕事をしていると、いろいろなことが思い浮かんで消え、また浮いてきます。フッと思いも掛けない閃きはいったい何だろう。普段の自分とは別人のような、まるで別世界にいるような、とりとめも無い思いが浮いてくるから不思議です。
 この光と言うものが私の命のもと、だから優しくつつまれると何もかもがほぐれてしまう。
 この回り全てが私の生のもと。だから親しく与えてくれて、時に全てを奪って行く。
 何かに気がつくと誰かに話しかけたくなりませんか。「ねえねえ聞いて」病のウィルスに侵された症状です。私の場合犠牲者はいつも子供達です。夕食の際には透かさず逃がさず取り付きます。
「前にスキーで一緒になったお爺さん覚えているだろ、その時言っていた事を思い出して。
『人をおくる挨拶で「気を付けて行ってらっしゃいなんて」人に対して失礼だよ。私は「グッドラック」っていうんだ』神に委ねた運命だけどその人の幸運を祈る、とても素晴らしいことだ。
 だけど日本の気を付けても捨てたもんじゃない。気をつけるってことは、物事に気を配り関心を持つことだろ。関心を持てば物事を見過ごすこともなく、ただ流れてしまうこともない。いつも気をつけていれば自然に身に付いてしまう。身に付けるぐらい、いつも≪気をつけてね≫ってことだろう。私はここで精進しているから、出掛ける貴方は一層忘れないように、精神を向上させる言葉を沙汰に使う、なんて素晴らしいことだろう。
 後悔ってあまりいい意味にとられれないけど、気が付かなければ悔いることもできない、気が付かないより後からだって気が付いた方がいいと思わない。大岡裁きの物語で、たとえ発心は卑しくても、良いことは真似でもいいからしろって言うの知ってる? 真似が身に付けばそれはそれだろ。気が付いたらやればいいんだ。気が付くことと行動とは別でさ、気付くことが悟りで、行動することが修行にあたるのかも知れない。やるっきゃないよな、努力だけでもさ」。
 開いた口がふさがらない顔をして、それでも箸を置いてかしこまって聞いてくれる、二人でした。感謝してます。
「父さん、今日の帰り道ね、友達にうちの父さん、ご飯の時に悟りの話をするんだ、って言ったら≪お前の父さん変わってるね≫って言われたよ」(次男)
『ふーん、俺って変わってるか』
「食事の時に悟りの話をするおやじなんて、どこにもいないよ」(長男)
 ある日、恥ずかしながら夫婦喧嘩しましてね。喧嘩を終わらせた一言は、「悟ったようなこと言っててなんだ」その瞬間、私の聞いて病も、夫婦喧嘩も吹き飛んでしまいました。
 越谷で仕事をしていたような、うらうらと背中の暖まる陽に思いの蓄積を胸に秘めて、錦魚との対話を志し一心に見詰めているときです。その水面を風が波打ち、陽が波間にキラッと光った一瞬、いつか見たことのある華やいだ輝きと同じようなものを感じました。
 石政の社長さんが手術を受けた時も、花園のような雰囲気だったそうです。私が怪我をした時と同じ光です。その時は余りの衝撃に、目から火花が散ったぐらいにしか思わなかったのですが、いずれも、普段経験の出来ないことが起こったことは確かなようです。こう言う話とか悟りの話はあまり真面目に言うと、気が変に思われると忠告を受けたので、程々にしておきます。
 私は小さい時からカラーの夢しか見たことがありません。総天然色、金色であれ銀色であれ極彩色です。若い頃には強く念じると、五十%の確立で続きを見ることが出来ました。
 あの輝きが夢に似たようなものであればと熱く願い、強く念じる日々が始まりました。何も強く念じる必要はなかったのですが、後で気が付けば、別に念じなくて幸せに満ちた空間だったら良かったのですが。気付くと錦魚が私に何か語りかけているようです。気の遠くなるような膨大な量の語り掛けです。聖徳太子が千人も居れば聞けるのでしょうが、私はその一つをそもそもから聞くことにしました。

つづく

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