土佐錦魚専科

一九八七年 昭和六三年三月発行分(平成元年七月発行)
一九八六年 昭和六二年度分第十二回会報より 玉野叔弘

 勝手ながら土佐錦魚芸術思考の続きをしばらくの間、休筆させて頂きます。
 封を解いた会報に改めて目を通しましたが、課題の大きさに気負ったせいか、たどたどしい自分に嫌気がさしてしまいました。恥ずかしさを抑えなら、無知の勢いに流されるのもまた一興かと、幾度と重ねた恥の厚さに開き直りもしましたが、齢四十を若く思える頃には多少ともましになっていると、思い定めた次第です。
 その齢も少しばかり過ぎ去ったこの頃、物事に接する自分が妙に爺くさく感じられてなりません。今や四十は人生の半ば、とは言え大きな節目、昔の人の言葉通り、人間四十になれば死ぬ用意をすべきなのでしょうか。何故か思いが廻り出されてなりません。私にも転機が訪れたようです。

 一人感傷に浸る幼き日の思いはほろ苦く、セカンドフラッシュのダージリンのように香しい、
 悔いるばかりの若き日は、今日行く道の標となって、
 大人気と背中合わせの子供心は、今揺れるブランコになって、
 人知れず揺れる子供心を、錦魚に託して。

 錦魚に関係あることもないことも、そんなも、こんなも、みんなひっくるめて綴ってみました。
 問わず語りをお聞き下さい。

土佐錦魚私考 一

  自然の廻る営みは、この春をもって命を育む
 中州で仕切られた流れのゆるゆるな浅場に、雲のような影が揺れている。岸辺の近くで背鰭が、水面に光の波をつくっている。背に掛かる辺りで尾鰭の上半分が、黒揚羽のように舞っている。影の集まりは一つ二つ、目が慣れてくると百二百、千か、堤防へ駈け上がると渡り五十メートル、裄が数百メートルの淀みに幾千という鯉がうごめいて産卵している。その生気が、躍動が、しだいに興奮を呼んでいることがわかる。
『おお』
 この一帯の鯉を捕り尽くすには今が一網の機会だ。なのに誰もしないのは、まだ人間に自然への恐れが残っているせいだろうか。それとも圧倒されて身動きできないのだろうか。時に自分を忘れると言うことは、自然にとけ込む感動を覚えることかも知れない。 
 多摩川を背に堤防を降りると、ここは既に啓明だった。多摩川から引き込まれた小川に沿って歩きながら、春のしたたかな興奮が覚めやらない。橋を左に渡ると右手に広場が見える。コークス殻をばらまいてグレーの運動場にしていても、草の生える方がいつも早い。春はヨモギを摘み、夏には生徒が一列に並んで草むしり、秋にはイナゴを追えるグランドだ。
 その左に小川の流れを停める池がある。そのほとりの平は、皆が草を押しのけた証拠だ。体操の授業が終わると先生を引っ張って、空中転回をしてもらう広場だ。車座になって沢山拍手をした。カッコいいと思って、先生を素直に尊敬して、心から拍手した。その素直さが懐かしく、とても愛しい。
 スカンポをくわえながら行く先はマムシ谷だ。谷と言っても両脇に二メートルの石垣が立ち上がり、四メートル幅にジメッとした枯れ葉が積もり、周りの木々がうっそうと覆う玉石の坂道だ。ただ、石垣の隙間からたまにマムシが沙汰をする。一気に駆け抜ける谷だ。右に曲がって、青大将の住処を遥か梢に探して過ごすと、やっと校門が見えてくる。校門と言っても寮の門みたいなもので、生垣の代わりに並ぶ欅をそこだけ、一本植えそこなったようなものだ。そう言えばこの学校柵だの塀がない。
 二本の木は一際太く門柱のようにたたずみ、通る者すべてを、包み許すように枝を張る。その森閑とした空気に立ち止まると、おそる恐る歩を進めた日が、今日に重なる。
 ちびでやせの少年がこの頃チック症状を見せています。母親が職員室に呼ばれました。本町小学校の井出先生は、教室の後ろが通れない程に並んだ机の一人一人を良く見ています。一人一人に親身になってくれてます。次の土曜日、少年は先生の家へ体験外泊に行きました。すでに遠慮を知っていた少年は、しばらくうつむいていましたが、綺麗なお嬢さんが優しいのでまんざらでもない様子。いつの間にか子供を取り戻していました。でも、家に帰るとせびって買ってもらった焼き芋の味だけが、忘れ物のように残っているだけでした。
 団体行動がとれなかった少年は、観劇の通知をランドセルに入れたままでした。先生は自費で求めた切符を手渡すと、無理矢理に行かせました。彼は、照明に浮いた劇の世界を、先生と共に忘れてはいません。そんな先生の指導で母親は転校させることにしました。
 母親の後について二本の欅の間をすごすご通ると、前は立派なお屋敷の玄関です。この家は昔、スッゴイ人の別荘だったそうです。奥の奥の小さな部屋でちょっとしたテストを受けて、あとは散歩に行きました。
 木々の間をウズラが驚いたように走ります。ツツジのトンネルの薫りは密のよう。芝生には若草色が芽生え、葉の間に揺れる淡い影は、この空から注いだ青い光の贈り物。
 天国を見ているような目に紋白蝶がゆら揺ら舞っている。思わず追いかけた。虫は捕るもの、蟻は潰すものと信じていたのです。蝶がとまって、辺りがシーンとして、息をこらして、時が止まって。そーと指が触れる刹那、高い空から声がしました。「蝶は捕るものでないよ、蝶は観るものだよ」、啓明学園校長の菅野先生。入校の日、小学四年春の出来事です。
 この学校には牧場があって、毎日うす茶色の牛からしぼりたてがやってくる。
「寒い日なんて、クリームが青い瓶の上に積もってさ、紙キャップ取って逆さにしたって溢れないんだ」
 牛乳瓶が並んだ隣にお金を入れる箱が置いてある。周りに誰もいなければ一、二本は飲める。朝の礼拝の時にいくら足りませんでしたって言ってても「へへ」。
 でもこの学校は変なところがあって、今日は多く入ってました。って言うことがある。何回もある。と、複雑な気分になれる。子供心に考えることもさせる。明くる日から十円玉と空き瓶が同じ数になって、しばらくしたら、一個二個十円玉が増える日があって、そして、たまに足りない日と、増える日がたまにある。
 真っ黒だった丸池が普通の水色にもどると、お昼のお皿に黄緑色の小さなカエルが飛び込んでくる。
「黒いオタマが水から出ると黄緑色に変わるだろ、それはね、芝生がカエルを守って、芝生色に染めているからなんだ」、
 芝生の露が乾くと案外カエルってペタペタしている。手にくっついて歩くこともできない。小指の爪に乗っけるとピョンと飛んだ。「カエルってそれで飛ぶようになったんだ」、築山の松を背に皆で食べるお昼ご飯と光がおいしい。
 教室に居ると、ほかの学校の生徒がぞろぞろと外を通る。
 動物園でも見るように教室の中を覗いて通る。動物園の動物はこんな気分で人間を見ているのかな。この学校は遠足コースなんだ。
 左手に牧場を見てから、右手に教会があります。この建物の前で大きな声を出したり手を叩くと、東照宮のように答えたくれまーす。あそこの築山は有名なんだって、つつじのトンネルを通って坂を下りると、レンゲの畑が待っている。小川に沿ってまいりますと多摩川に出ます。ここの多摩川には堰があって上にはボートの遊び場がある。下は瀬になってその先では漁師が、竹の手元が抱えるように太くて端の見えなくなるような竿で、ナマズを釣っている。漁師が造った板一枚の橋を渡ると、目の前が滝山です。頂上に城跡があって、滝山城址公園になっておりまーす。
 夏の日は頂上まで駈け上がり競争をした。一位になれなかったけど、案外いい線行くようになって、基礎体力がこんなことで出来たのかも知れない。一本橋で落としっこして瀬に足を浸すと、横切る風が汗を癒してくれる。
 秋の机の中は椎の実の殻で一杯になる。煎って食べると最高だけど、生でも結構乙なものだ。聖書の時間が大好きで、先生の話は大スペクタクル巨編十戒を直ぐそこに展開してくれる。教室の外をカランカランと鐘が通り終わると、椎の実も空になる。
 秋の稔りは太陽の子、宇宙の恵み、自然の実。
 桑の木によじ登ると、しなる枝の先に紅色を黒く熟した実がなっている。
 黒紅色は鳥のもの、空の上の誰かが零した一滴、鳥が空で受け止めていたのに。
 瑞々しく香しく、触れるだけで壊れてしまいそうな実だけを選って、胸ポケに隠してしまった。少年が大きく息を吸うと、ポケットの実はもとの雫になって大きく紅く胸を染めた。
 めくるめく思いは去りし時と綾をなし、舞台はまばゆく在りし時をよぎる。
 春の空はヒバリ鳴く高さと同じ、見上げても声しか見えない。
 少年は田園にのびる一筋の道を早い朝に歩いて行く、途中に小さな祠があって、数本の大きな木が若葉の畑に際濃い緑をつくっている。少年は、人知れず僅かに揺れるブランコに腰かけると自然と揺れている。少年は知っていたのだろうか。自然に身をゆだねると心も自然と揺れることを。

つづく

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