土佐錦魚専科

志す人の過去ログ

過去ログ 2006/01/01~2005/10/28
新年の挨拶 投稿者:玉野叔弘 投稿日:2006/01/01(Sun) 07:05 No.111
 明けまして、おめでとうございます。
今年も、宜しくお願いします。 

 元旦も朝の柔軟体操をいつも通りにすませ、これから階段のぼりです。
今年はとりわけ気が入っているようです。
気負いを少し緩めるよう、初詣に行ってきます。
言い訳とご挨拶 投稿者:玉野叔弘 投稿日:2005/12/30(Fri) 06:50 No.110
 長い間、無沙汰をしてしまいした。
その間に、公的には会の再出発の手配。
私的には連れ合いの骨折。
続いての内臓出血と入院騒ぎがあり、
暮れに集中する仕事と重なり、
錦魚の世話さながらに、四時半に起きて六時に洗濯物を取り込みまた干して、朝夜明け前の六時半から仕事を始め今日に漕ぎ着けました。
なんとか風邪もひかずに出来たのは、錦魚に訓練されていたからと思っています。

 この頃は氷が溶けずに残っている日が続いていましたが、
ここにきて日中溶ける日がくるようになりました。
全国的に雪が降っているのに東京はカラカラ天気で、
丸鉢が雪のシャーベットで埋まらないだけ魚は健在しています。
このままの調子で推移して行けば、来春の産卵は早まるかも知れない。
そんなことなしに、いずれ雪で丸鉢が埋まる時が来そうです。

 毎年このまま、体をなまらせずにいくため、階段のぼりを始めています。
始めは300段ですが、昨日からは600段、1月には1000段へ、
その後スキーへ出かけて、甘やかさずに合宿さながら体を動かします。
三月までできるだけ維持して、四月には思いっきり太り体力を溜めて錦魚へと突入します。
その間に昼間は大仕事の池の配置がえや整備、夜は執筆の予定でいます。
本を出す予定は四年後、精一杯の努力を重ねて出来るかどうか。
相変わらずする事が山積みです。
これから先にやる事が山積みだと、過去にあった事に関わってられなくなり前向き思考になります。

 今年始めたこの頁もまだ中途半端ですが、少しづつやってゆきます。
来年は良い年になりそうです。
 みなさんも良い年をお迎え下さい。
自己紹介の続き2 投稿者:玉野叔弘 投稿日:2005/11/17(Thu) 13:12 No.109
 金魚を自分で飼ったのは中学一年の時からです。小学生の時は寮生活をしていたので飼う事は出来ませんでした。
近所の左官屋のおじいさんの趣味がこうじて、金魚屋と釣り堀を開いた時からです。
釣りが好きであちこちの川へ毎週日曜にちょこちょこ行っていましたが、
釣り堀が近所に出来てからは平日でも行けるので、週に二日ぐらいは行っていました。
釣って帰ると入れる所に困り、家の裏に1m×2m×最深1mの池をモルタル塗りで造り、近所の人から中学生で良く出来たなと言われていました。
釣った魚を全部入れて冬籠りも十分出来たので、近所の人が釣りにくるぐらいでした。
その池で明くる年に産卵も始まり、中2の時に採卵をしました。
流金、朱分金、出目金、ごちゃごちゃで、子のほとんどは鯉や親に食べられてしまいましたが、ガラス水槽へ別にした卵は育ってくれました。
その時に金魚の育て方の本を買って来たのが、金魚へのきっかけになり、高校の時に水産試験所へ見学に行き、中国金魚へと進みました。
大学の時に土佐錦を見て飼いたいと思いましたが手に入らず、以前から思っていたランチュウへ進み、入会して本格的に始めました。
 土佐錦を始めた時も学生でしたが、高校は定時制、大学は2部なので、金魚の世話をしてから、仕事をして、夜学校へ行き、夜9時に学校が終わってから食事に行ったり、スケートをしたり夜遊びもして、どうして金魚が飼えたのか今思うと不思議なくらいです。
 土佐錦を始めてからは他の金魚は一切止めて、のめり込みました。
もうじき40年に手が届きそうです。
毎年のように高知へ通い、方言も何気なく聞き取れるようになりました。
今は方言が少ないのでつまらないぐらいです。
高知は食べ物が美味いし、人はハッキリしているし、とても好きで将来は住みたいと感じていたぐらいです。直径20センチの椎茸、一見秋刀魚ぐらいの大きなアユ、土佐錦も育てればいくらでも大きくなり、40センチぐらいのもいましたが、勿論審査外。
 高知の諸師達は高知で飼えば力は黙っていても付くので、土佐錦魚に品を求めていました。
 東京の私はランチュウで盛田さん内山さんへ通い、味っ濃い魚を観せていただき、宇野さんの魚も観ていたので、加藤さんに君は味に進むのかと言われていました。
 土佐錦で味や品を求めていた事は意外でしたが、高知の方の芸術性に共鳴するところがあり、土佐錦魚の両立の微妙さに惹かれてしまいました。
 土佐錦とランチュウでは作り方が正反対と言えそうに違います。
ランチュウを引きずるとどちらも成り立たなくなるので、思い切り土佐錦のみに徹しました。
 熱帯魚等はあまり変化させないように飼いますが、土佐錦はまるで変化をさせるように飼います。ランチュウはその中間でしょうか。
 丸鉢の型で魚が変わる。丸鉢の型の追求も、もう30年以上になります。15型程試しました。
水の一つでまるで変化する土佐錦には飽きるどころか、今ではより深みにはまっています。
 高知の方からの教えを実行する。真似をすることから始めましたが、真似すらまだ出来ていませんが、この頃は野中進さんの魚に少し似てきました。

 近頃、方々に土佐錦は居ますが、高知の伝統を踏まえた土佐錦魚はほとんど見られなくなってしまい、伝統に危機感を感じて、このホーメページを立ち上げました。
 私の残った余生十年前後でしょうが、伝統を伝える事に役立てるよう、努力をして行くつもりです。
自己紹介の続き 投稿者:玉野叔弘 投稿日:2005/11/09(Wed) 21:21 No.108
 今日の世話は八鉢目で、
あまりの冷たさで冬籠りへの態勢作りへと切り替わってしまいました。
明日からはサイホンにより糞を取る手抜きの世話で済ませるつもりです。
世話は2時間ほどで終わる予定なので、目覚ましを4時に掛けて5時からの作業で済むため、2時間睡眠時間が長くとれます。
 いよいよ本格的に仕事をする時期が来ました。

 今日は1トンの水の使用で済んでしまいました。
外の溜め水の1トン用四つは空になりました。
温室内の2トン用のみを冬は使うようになります。
溜め水は最大6トン。
鉢に5、5トン入っているので、設備を合わせると屋上には15トン程がのっている。
床の2重のコンクリートと防水層を入れると重さは考えたくなくなるが、
家は錦魚のために建てたので、設計段階で頑丈に造ってあるはず。
でも地震と台風が心配の種です。
錦魚と出会った時から、将来は錦魚を思う存分飼える家を建てると、計画していました。
ここら辺りは地面上に飼う事が困難なので、三階の屋上になりました。
三階は冷えが厳しいが、風通しが良い分で相殺できる。
仕事も40年働いたら止めて錦魚の側に居ようと、思いを固めていましたが、
お客さんが頼んでくれるので、断りきれないものだけ冬にやっていました。
でも、来年で45年になるので、もう断るつもりです。

 今日は、魚をぎゅうぎゅうに温室へ詰めて、外は苔守が120尾程がいるだけになりました。
外の丸鉢は
直径60センチが30、
直径53センチが38、
直径45センチが 2、
計       70鉢です。
内外の角鉢は40で計110が総勢です。
全部を溜め水の上に並べてあります。
結構高い位置なので、バケツは胸の高さまで上げ下げするようになります。
電気は30アンペアと20アンペアの2系統。
水道は15ミリと20ミリの2系統。
溜め水からの配水は、井戸用のポンプを使用。蛇口をひねると出るようになっています。
鉢の排水は栓を抜けばできるようにしました。
エアーポンプは外と内に大きいのを1つづつ。
糸目保存は冷水器で10℃に保つ200リットルが1つ、専用エアーポンプでボコボコに出しています。

もう9時過ぎましたのでまた後日に続かせていただきます。
只今、帰りました。 投稿者:玉野叔弘 投稿日:2005/11/07(Mon) 08:18 No.104
 高知の集いから、二泊日帰りで戻って来ました。
薬を飲み続けたので咳も出ず、なるべく動かなかったので、
かえって元気になったようですが、今日は用心して魚の世話を堪忍してもらいます。
 高知は大雨注意報が出るほど、時折強風が吹くあやにくでしたが、
高知のエネルギーは大きなテントをいくつも張り、間をシートでつなぎ、
出陳魚全部をテントの内に納めてしまいました。
大阪の人たちの動きも非常に活発で、東京は負けているようです。
私は力仕事を手伝わず、軽い事をちょこちょこしていましたが、足手まといだったか?
出席者も例年に劣らず、質疑応答も活発で、雨にも負けず盛況でした。
魚も少しずつですが、年々良くなっているようです。
高知県外の人たちの研究熱心さと向上がとても目立ちました。
県外の人たちは話し合い、教え合い、学び合う事が自然に行えるようですが、
高知の方の多くは自分自身で研究するようで、いごっそうのプライドの高さを感じました。
 私個人的には塾魚だった親魚が出て来て少し嬉しく。
餌のメーカーの人や全般に詳しい人に話を聞くことが出来て、
魚の周辺を学べ別のところで有意義でした。

 来年は晴れるように。

Re: 只今、帰りました。 投稿者:大阪 谷 投稿日:2005/11/07(Mon) 13:26 No.105
玉野さん こんにちは
昨日の午後の11時頃 我が家に戻ってまいりました
一番に 高知につれていった錦魚を池にもどし 雨にぬれて冷えた身体を
風呂で温めました 厳しい日程でしたが楽しく充実した一日でした
偶然に大井さんが私を見つけてくださり声をかけていただきました
出陳カードに大阪 谷と書いてあったのを見られてのことのようです
はじめてお目にかかりまたお話をしたのですが 初対面と思えないくらいに
話がはずみ楽しかったです 彼女とは塾で同期でしてPCのなかでのイメージ
どうりの人でした 話のなかで私が連れて行った三歳の塾魚を見てもらった
ときに 玉野さんに見てもらったら きっとお喜びになられますよと話され
て 玉野さんに見ていただいた次第でした 玉野さんはお忙しく対応されて
おられたのでなかなか挨拶もできない状態でした さすが女性は強いと実感
もしました 三人で話をしましたが さながらミニオフ会ということになる
のでしょうか レベルの差はあるものの同じ趣味をもつものどうし 奇妙な
連帯感を感じました 塾の延長で話ができたのが嬉かったです
身体は疲れが残っていますが 今日の天気のようにすがすがしい疲労感で充
実した気分です
最後になりましたが HPの開設おめでとうございます
今後の発展を期待しまた祈念いたします

Re: 只今、帰りました。 投稿者:玉野叔弘 投稿日:2005/11/07(Mon) 17:37 No.106
 大井さんのパワーは女性ならではです。
その時、高知の役員の人と高度な話を交わしていましたが、
大井さんにちょっとと言われると、そちらへ引き寄せられてしまいました。
その人とは続きを昼飯を食べながら済ませました。
大井さんにはお土産を頂いていますので、文句を言えません。
大井さんが間に入ると初対面ではなくなります。
これからもパワーを発揮して人の輪をつくって下さい。
いつも、ごちそうさまです。

 来期は皆さんに楽しんで頂けるよう、
私ならではの当歳配布の企画を考えます。
谷さんも良かったら、
期待して下さい。

Re: 只今、帰りました。 投稿者:大井慶子 投稿日:2005/11/07(Mon) 18:41 No.107
玉野さん 谷さん
「土佐錦魚の集い」お疲れ様でした
いろいろとお話が伺えて またまた勉強になりました
来年の課題もありがとうございます

お話の腰を折ってしまってすみませんでした
でも 谷さんの3歳塾魚を見た時に
玉野さんにお知らせした方が絶対にお喜びになると
思って出しゃばってしまいました 

来年の企画ぜひ実現して下さい 楽しみにしております
私も 飼育頑張ります

こんな私ですが 今後ともよろしくお願いします
目に浮かぶうちに 投稿者:玉野叔弘 投稿日:2005/11/02(Wed) 08:12 No.102
 高松さん。
大会の時に『この魚は巾着返りですか』と質問を受けましたが、
少しためらって『そうです』と答えました。
折角見て取れるようになった返りの型をためらうことによって釈然としないものにてはいけないので、どうしてためらったかへ踏み込みます。
 (その前に、人の魚を対象にするので失礼のないように、どの魚か解らないように進めます。)
 我池の巾着返りは張りが強いので泳ぎは下手ですが、雄なのと野中系の特徴をもって可愛さが有ったと思います。
会の魚に可愛さは無く、別な原因で泳ぎが悪く、この魚をこう育てようとした意図が伺えず、大きく育てたらこうなったと言う感じを受けました。
 もともと巾着返りは、力を付けたり感じさせることができる返りではありません。
きれいで可愛く、きらびやかで、それでいてどこか寂しさを感じさせて、乱暴に扱うとどこか壊れしまいそうな錦魚です。
 振り元の余裕が全部袋になっているため安定を保つことが難しいのも、どこか寂しさのような不安定要因が感じられるのかも知れません。
 この型の魚を最高に発揮させるには特徴を意識した作りが求められます。
会の魚は雌型なので付きが高いうえに太らせ過ぎたため、舞わさせることが出来なく、極めることも水面が邪魔になっています。珍しさと派手さで人目を引きますが、巾着型の素晴らしさを観て来た者にとっては心淋しい(うらさびしい)思いがこみ上がり、即座に巾着返りと答えることをためらってしまいました。
 我池の魚も巾着返りですけれども良くないと但し書きを付けましたが、特徴は備えています。
高松さんは会の魚が同じ型と観てとったものの、我池の魚とはあまりにかけ離れているので、共にするのにはためらいを抱いたのかも知れません。
Re: 目に浮かぶうちに 投稿者:高松 健司 投稿日:2005/11/03(Thu) 20:47 No.103
玉野さん、今晩は。

私の何気ない質問にご丁寧にお答え頂き誠に有難うございます。
まだ十分に理解は出来ていないと思いますが、ぼんやり分かりました。

取り急ぎお礼まで。
おめでとう 投稿者:玉野叔弘 投稿日:2005/10/30(Sun) 19:17 No.93
 村上さん。
東京土佐錦魚保存会第30回大会当歳魚小の部東大関獲得おめでとうございます。
東大関
西関脇
前頭三枚目
余分に味魚賞までスゴかったです。

大の部は良い魚を出していましたが、体の作りが失敗していたので、
落とされても仕方ないですが、
それにしてもいい魚でした。
村上さんは桜を気にしていましたが、魚が良いので桜は気にならないぐらいのものです。
二歳でも体はカバーできますから、まず水作り、そして苔作りのこころがけてです。
魚はそのあとをついてきます。

有難う御座います 投稿者:村上 智士 投稿日:2005/10/30(Sun) 21:19 No.94
有難う御座います。
今、大関持ち回り盾を居間のテーブルにおいて祝杯をあげてきました。
30回記念の大会で大関が取れたのは素直に嬉しいです。

当歳大の部の魚はあの系統から唯一の出品でした。
いっそ持っていくまいかとも思ったのですが魚の質はぴか一でしたので・・・
初期段階の抑えの失敗が目幅を付け、腹出しをする段で顔の崩れを気にしてああしてしまいました。来年はもう少し見られるようにしたいと思っています。

やはり水ですね。今年は痛いほど痛感しました。
一所懸命頑張れば魚は答えてくれるものですね。

Re: おめでとう 投稿者:高松 健司 投稿日:2005/10/31(Mon) 10:05 No.99
玉野さん、おはようございます。

昨日は、貴重な土佐錦を頂まして誠に有難うございました。

昨日は帰宅したのが遅かったのですが、早速、丸鉢に写して懐中電灯片手に

暫く眺めていました。

今朝も早く起きて、また暫く眺めていました。

お礼が遅くなりまして誠に申し訳ございません。

取り急ぎお礼まで。


村上さん

東大関おめでとうございます。

今後ともよろしくお願いいたします。

Re: おめでとう 投稿者:玉野叔弘 投稿日:2005/10/31(Mon) 18:09 No.100
 高松さん、お世話いただきました。
面倒を見て頂きまして有り難うございます。
お陰さまで、楽に大会を済ませて頂きました。
後一週間なんとかつないで行けそうです。
これからも知識的にも、体力的にも宜しくお願いします。

Re: おめでとう 投稿者:村上 智士 投稿日:2005/10/31(Mon) 22:54 No.101
高松さん、有難う御座います。

初年度で高松さんの当歳の成績は立派だと思います。
常に研究熱心なその姿勢に頭が下がります。
こちらこそ宜しくお願い致します。
大関によせて 投稿者:玉野叔弘 投稿日:2005/10/31(Mon) 09:05 No.98
 村上さんの魚には小さい頃から何回か関わりがありました。
7月の第一日曜でしたか、我池の1番2番とは20間ほど後生まれの魚を見せてもらいました。
20かほども生まれが違うのに大きさは同じぐらいでした。
1番2番ですら大きくし過ぎたかなと感じていたぐらいですから、
当然、目先は崩れていました。
1番2番ですら目先作りに失敗したと思る魚なのに、推して知るべしでした。
当然、村上さんは何かに気づいたようです。
そこから今の大関が始まったと言えるのではないでしょうか。
次に村上さんの魚を見せてもらったときは全体の魚が小さく収まり、1番2番のほうが遥かに大きくなっていました。
ここまで抑えると目先もここまで取り戻せるのかと、教えてもらえました。
基本的に目幅が固定しているのでそれ以上は望めませんが、目先の吻端までの長さは以前とは比べ物にならないほどでした。
 次に見せてもらったときは、腹が見事に出て、目先を際立たせてほとんど目幅に邪魔をさせないようになっていました。

 ここで、ちょっと腹出しの一部に触れます。
皮肉にも小さい時に大きくしてしまっていたことが役に立っていたのですが、村上さんはそれには気づかずに努力を重ねていたと察します。
努力が無駄にならなかったことは怪我の功名と言えます。

 私の場合は普通、一度目先を崩したらただ腹を出して突き進んでしまえと投げやり方向ですが、
村上さんは魚をいたずらに扱わず、こころを込めたようです。
力は失せていましたが、繊細で品良くまとまっていました。
 魚にその人の意図が感じられるようになると飼い込んでいると言えます。
ですが、その意図が木偶の坊ではかえって邪魔になるばかりです。
その人の感性が魚にのってはじめて魚に作りが現れます。
まず魚です。
人のためでなく、
魚のためです。
村上さんは意識しないで魚を大切に愛しんでいたのではないでしょうか。
魚に滲み出ています。
今の村上さんの精一杯の作りを感じます。
繊細な人が魚に力を付けさせることができるとすばらしい魚が出来ます。
高知の人は気が荒いので繊細な人で丁度良かったようです。
田村さん、宮地さん、矢野城桜さんがそのタイプで、野中進さんは兼ね備えた稀な人で、
近森さんは力が勝っていましたが、それを抑えようと努力を絶やさなかった人です。
その境地に通じ、達することができる。共通する感性が目覚めたのかも知れません。

 私も後十年後には師と仰いだ方々の境地へ達することができるよう、
賭して努力して行きます。
腹出しはどうでした 投稿者:玉野叔弘 投稿日:2005/10/28(Fri) 08:44 No.90
 大井さん。
もう、腹出しが終わる頃ですが、どうですか。
結果を楽しみにしております。
腹出し法の私の場合は丸鉢へ入った頃から、秋の腹出しへが始まっています。
人の方法を教われたら、自分のがどの辺りか解るので参考に成ります。
成功でも失敗でもどうですか?

Re: 腹出しはどうでした 投稿者:大井慶子 投稿日:2005/10/30(Sun) 09:09 No.91
ご無沙汰しております
今月仕事と他の魚に忙しくて土佐錦魚を
あまりかまってやれませんでした 反省。
秋の西風が吹き始めたら1日4回餌やり
もちろん目の出には気を付けて食わしこみと
教わりました この
餌やりが 完璧に出来れば もう少し 腹出しが
出来ていたハズなのですが
またまた 来年の課題になってしまいました

Re: 腹出しはどうでした 投稿者:玉野叔弘 投稿日:2005/10/30(Sun) 19:04 No.92
 案の定。
と言うと怒られますね。
腹が出る要素が有るか残っていれば、その餌やりで出る可能性はあります。
腹が出るように躾けておかないと餌の量だけで出ないのは仕方ないでしょう。
躾の辺りは理論立てがもう出来ている分野です。
腹出しは目先作りと対を成す腹作りです。
しつけと環境。
これを追求するのは研究室でのことにします。
人のことをとやかく言うことになるといけないので。

 魚を見せて頂いたのでもし興味があるようでしたら、
お礼に躾と環境の辺りをおとどけします。
如何ですか。

Re: 腹出しはどうでした 投稿者:大井慶子 投稿日:2005/10/30(Sun) 22:32 No.95
ぜひ 躾と環境教えて下さい
よろしくお願いします

今回の魚たちですが
今年腹出し出来なくても来年は出る系統と
言われたので 忙しさもあって
まっいいかと餌やりをしてしまったせいもあります

11月6日の「土佐錦魚の集い」に連れて行きます
実物を見ていろいろ教えて下さい

Re: 腹出しはどうでした 投稿者:玉野叔弘 投稿日:2005/10/31(Mon) 04:26 No.97
 六日、お会いした時に、実際に魚を前にして突っ込んだ話をしましょう。
想像では腹出し法を教えてくれた人も、その場に居るような気がします。
もしその人が良かったら交えて打打発止と討議できると愉しいのですが。
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