土佐錦魚専科

志す人の過去ログ

過去ログ 2006/09/20~2006/09/02
9月研究会より 4 投稿者:玉野叔弘 投稿日:2006/09/20(Wed) 21:12 No.212
 会員が丸鉢を試したいと思うことは、理想の土佐錦魚への足がかりになります。
 鉢にも日向むき日陰向きのような日受け、水量等により性質が違ってきます。
 日向向きの鉢を日陰の多い環境で使えば、当然出来は遅く、メリハリの効かない魚になります。
 日陰向きの鉢を日向で使えば、煮えやすく、とても手が掛り安心していられません。
 我池の丸鉢はその差を立ち上がりのみで調節をしているので、基本的には陽当たりの良い所用と言えます。
 ところが、擂り鉢型が基本なので日陰でも対処できます。
我池の環境では出来が早めなので遅らせるために、弧を強めに付ける傾向に有ります。
 会員がこんな鉢を手にした時、自分の環境でどこをどう活かすか。
日陰が多ければ、立ち上がりが少なく、弧の浅い鉢を。
陽当たりが良ければ、立ち上がりが多く、弧の深い鉢を。
 希望が丸手をより丸手に、また丸手過ぎるので程々にしたい。
 張りが強いので、また張りが弱いので。
多様に関わってきます。
 会員が自分の環境に合わせた鉢を選んで世話を始めた時、
餌の与え方によって、水替えの仕方によって、
魚は敏感に受け止めながら時の流れに沿って反応を始めます。
9月研究会より 3 投稿者:玉野叔弘 投稿日:2006/09/18(Mon) 11:31 No.211
 丸鉢の重要性は丸鉢思考(土佐錦魚丸鉢思考1~五)を読んで戴ければ理解頂けると思っています。
 土佐錦魚の創成は最終的に丸鉢で出来上がったのですから、丸鉢の型で土佐錦の形が変わるのも当然です。
 丸鉢の型で土佐錦魚がどう変わるのか、追究しない方が私にとっては不思議な気さえしています。
 最初土佐錦を手にしても丸鉢は手に入らず、1年タライで我慢しましたが、丸鉢を造るとタライとの違いが鮮明になりました。すると餌の与え方や水で、その鉢なりに新たな変化が起こることが見えてきました。数年かかり新たな変化をその鉢の型に適応させると、今度は鉢の利点、欠点が見えてきました。利点を伸ばして欠点を補おうと、新たに丸鉢設計への挑戦が始まります。30数年繰り返して、今日設計試作の丸鉢は基本的なところが定まり、魚への微妙な変化を求めるところまでに至っています。
 今期のように余り出来の良い年でもないのに、
 一時期作りが出来ず、生かしていただけなのに、
魚が出来てくれたのは、丸鉢が作ってくれたからと感謝さえしています。
品評会用鉢の色塗り 投稿者:玉野叔弘 投稿日:2006/09/16(Sat) 07:06 No.210
 昨日早めに当歳の選別、点検が終わったので、
せっかくの晴れ間を無駄にしないよう、品評会用鉢の色塗りを始めました。
この間試した色より少し黒く色を調合して、塗るのは簡単ですが、
なんと言ってもペンキ屋ですから、
鉢を出して、塗って並べて、触れる程乾いたらしまい並べて、さらに乾かして置く方が大変。
でも夕方までには終わりました。
残念だったのは、今は無理な力を入れられないので、上に重なっている箱の重みで一箱だけふたが開かず、塗ることが出来ませんでした。
 今日は二歳150尾と親50尾を、品評会と冬籠りへ向けた振り分けをするつもりでいます。
当歳の世話はこれから楽になっても、品評会の案内、用意とか忙しくなります。
9月研究会より 2 投稿者:玉野叔弘 投稿日:2006/09/16(Sat) 03:52 No.209
 [丸鉢の型が違うと魚の形が違ってくる]
と言うことに意識が向いてくれたようです。
気がつく水準の会員が出てきたことは、喜ばしい限りです。
 会はこれまで31年、私の言っていることを検証しようとした会員は、私の知る限りで一人でした。
 今年になって、それも9月になって、急に差を感じとれたのは、今年のテーマ宮地式が、秋になって真価を発揮してきたためです。
 六月の小さく貧弱な分譲魚に、やがて9月に現れる基礎が作られていました。
 ただし基礎ですから、その後毎日積み重ねる作りは、会員の精進次第です。
 精進は精一杯しているつもり、
 会員にしてみれば指導の通りにして来たのに、
  「何でこんなに差がつくの」
その差が現れたことで、精一杯土佐錦を追究してきた会員の自尊心を刺激したようです。
 だったら、どんなものか、その擂り鉢型の改良型を使ってみたい。
でも、市販されていない。
 理論に基づき、錦魚飼育の現場から検証、改良を重ね、魚のために、そして世話がしやすく、実績ある、
 [人事を尽くせば天命を待てる]鉢の製作希望がでてきました。
 これまで三回、設計する度、改良する度に、自分の分の製作ついでに会員に良かれと希望を受けましたが、希望されたのは始めてです。
昨日の研究会にて 投稿者:玉野叔弘 投稿日:2006/09/12(Tue) 03:44 No.208
 9月になると、大分土佐錦になって来ました。
そんな魚を比較した会員の印象は、
丸鉢の型が違うから魚の形にここまで差がついてしまうのではと、
疑問の矛先がハッキリして来たようです。
 我池の丸鉢70個は擂り鉢の改良型、
会員の多くはお椀型。
 今までは丸鉢の差にこだわりを感じないで、何気なく使っていたけど、
努力しても魚の形が根本的に違ってしまうのは、
丸鉢のせいではと口に出るようになりました。
 今月はその辺に触れてみましょう。

 昨日から魚の仕上げをすべく、全部の魚の選別、点検を始めました。
五日程の予定です。
 各魚の得長にあわせて、水の濃さ、餌の量等をかえてゆきます。
点検が終わると少し時間が出来るので、
ぼちぼち、進めさせて頂きます。
 丸鉢の水替えの定義 11 投稿者:玉野叔弘 投稿日:2006/09/10(Sun) 03:46 No.207
 今提唱されてほとんどの人がしている水替えと、昔の水替えは少し違っていました。
 この頃の丸鉢の場合は毎日か一日置き、二歳親でも二日置き、長くて三日置き、私は勧めませんが夏場一日置きの人もいるぐらいです。
 昔はもっと長く置きました。丸鉢で二日置き、角鉢で五日置きの人も居たと聞いています。
 これは、今のように蛇口をひねると直ぐ出るような、水道やポンプが普及していなかったので、井戸水を鉢までひいたり、運んだり、替える作業が大変だったことが考えられます。
 また、水質や空気、日照、風通しが良く、温暖化やクラーによる影響も無く、自然環境、飼育環境が良好だった。
 苔も良く生え、餌も良質の天然物、鉢の環境も良く、自然と水も長持ちしたと思われます。
 水を長持ちさせる分日除け板は、今より多用されていたことも頷けます。
 その頃求められていた魚は丸手で品よく色濃く、そして今より長生きだった。頻繁に替えて寿命を縮めるほど大きくすることは、憚(はばか)られていました。
 今、私は当歳の初めは宮地式、その後は野中進式や自分で工夫したやり方を、親は田村式を提唱しています。
 この頃はやっとその水替えを少々実行できるようになってきました。

 まず、土佐錦魚はどういうものか、
どのように作られて来たかを知って、
自分はどのような土佐錦魚を求めるかを定め、
そのための水替えを探ることも、
土佐錦魚のよろこびの一つではないでさようか。

 2006年 平成18年9月10日
            東京土佐錦魚保存会八月研究会より
                      

東京土佐錦魚保存会九月研究会懇親会にて会員へ配布されます。
 丸鉢の水替えの定義 10 投稿者:玉野叔弘 投稿日:2006/09/08(Fri) 09:59 No.206
 水替えの終わりにオーバーフローをすることを添えさせていただきます。
 近森さんは鉢に水を張ったところへ、洗面器の元水を半分鉢へ移して、そのまま洗面器を浮かべ、洗面器半分程の水を溢れさせていました。溢れ終わったところで鉢の水を洗面器へ入れ一杯にして、また少し浮かべておき、水質、温度を合わせ、次の鉢が終わったあたりで、洗面器を空けていました。
 私はオバーフローを重要に位置付けて必ずしています。
当然、水は鉢に一杯に張るようになります。丸鉢はそうするように設計されており、風通しや苔等にも影響します。

 冒頭のように書き始めた切っ掛けは、経験ある会員が以外に水替えの意義をを知らないと感じたからです。
 書く目的は原点を知ってもらいたかったからです。
原点を知って始めないと、とんでもないところから出発してしまいます。
 原点を知らずに土佐錦魚を育てようとすると、外れた出発点から始まり、育っても矢野城桜氏の言うように、土佐錦魚属であっても土佐錦魚でなくなってしまいます。
 何か有った時には、「死んじゃった」で片付けてしまうことが往々にして起こるようになります。

 知らなくして行う程恐いことはない。
 知っていて行う程罪深いことはない。

 一度妥協をするとそこから再出発することと同じ、次に妥協するとまたそこから始めてしまいます。段々妥協点が重なり、目的の次元が原点からじわじわと離れてしまいます。
 人事を尽くさなくて、天命を待つことは出来ません。
 また間違ったことを尽くしても同じ結果です。

 私の体験では、歳をとると気力体力的に初志の貫徹が難しくなるようです。やけに大人びいて上手に手抜きを始めるようです。そんな自分がさびしくなるときは、そんな自分が作ってしまった魚を見るときです。

 つづく
 丸鉢の水替えの定義 9 投稿者:玉野叔弘 投稿日:2006/09/06(Wed) 06:47 No.205
 わざわざ前提や定義まで持ち出して、水替えをしなくてはならないのでしょうか。
 それは水を作るためです。
 水を作ることは土佐錦作りの前提だからです。
土佐錦作りは水作り。
水作りは水替えから、
水替えは定義が基準、
前提が有って定義が成り立ちます。
 前提から浮かび上がる割水は、
土佐錦作りの[限界から限界]への水を作ります。抽象的ですがこの範疇に土佐錦魚の水作りは納まります。
 例えば、水の薄さが限界をこえると魚は余分なものが着いて、ガサツになり、木偶の坊になります。
 限界を遥かに超えると、オバケになってしまいます。 
 濃さ(古さ)が限界をこえると魚に縮みや溶けが始まり、必要なところまで損なってしまいます。
 限界を遥かに超えるとイジケになってしまいます。

 理想の苔が繁茂し、理想の水が出来ればそれに越したことは無いのですが、東京ではなかなかできません。役に立つ苔がやっとです。ですが、温暖化のせいでしょうか、やがて東京でも近い物が出来る日が来そうな感じです。
 仮に理想の苔が在るとします。すると手がかからなくなると同時に、限界の幅が広がります。それは苔の働きが補ってくれるからです。水が薄ければ早く濃くするように、濃ければ薄くするように働いてくれるからです。
 しかも苔を食べるとぶくぶく太らず、締まるところは締まり、腹は福与かにでてくれます。世話の手がかからなくなり、しかも魚は出来てくれます。
 すると人間の性でしょうか、手抜きを始めます。初志や目的を忘れないで、水準を高く持ち続けていれば、体力は衰えても年の功が、魚を維持してくれるようです。

 つづく
 丸鉢の水替えの定義 8 投稿者:玉野叔弘 投稿日:2006/09/04(Mon) 07:28 No.204
 前提は
置き水をして、
丸鉢に役に立つ苔が生えている。

 水替えは
朝、元水とともに錦魚を鉢より出して、
鉢を洗い、清潔にして、
苔の調節をして、
元水を状況に応じて割り、
魚を水温水質に馴染ませてもどします。

 元水は
理想状態の飼育水が望まれますが、なかなかできません。
 我池の丸鉢七十全部苔の状態が違い、丸鉢の型、陽当たり風通し、収容尾数、餌の量等も違い、一鉢一鉢水の状態が違ってきます。
 苔の働きが良いか、浮遊藻の濁りが強いか、付着藻と浮遊藻のせめぎ合いです。付着藻が勝っている状態が望まれます。
 良い状態の元水を、 
時期によって、その日の気温、日照、風、雨模様によって、元水の割合(割水)を調節します。
 鉢の置き場所の環境によって、鉢の型によって、陽当たり、風通し、置き水のしかたによって、割水を調節します。
 魚が長いか短いか、さらに長くしたいか短くしたいか、魚が硬いか柔らかいか、泳がせたいか停めたいか、品を求めるか求めないか、退色具合によっても調節します。
 毎日水替えではその日に水が出来るよう調節します。

 つづく
 丸鉢の水替えの定義 7 投稿者:玉野叔弘 投稿日:2006/09/02(Sat) 19:17 No.203
 丸鉢の水替えの定義 7

 標語ー自分の部屋は自分で掃除させろ。

 親、二歳は苔を上手に食べられるようになり、苔の新旧入れ替えが自然に進んで行きます。
 苔の作用の良い池では水替えも、中三日前後、三日置きから五日置き、苔にとって適度な陽当たりならば、一週間たっても替える程濁らない場合さえ有ります。ですが、親でも五日が限度として一週間以上は置かない方が良いようです。
 丸鉢でも五日間を限度として苔をを清潔にしないと、病気になったり、魚の形が変わったりすると言ってきました。
 病気になったりすると、「水替えが一日送れたらなっちゃた」
型が崩れても、土佐錦とはそう言うものぐらいに思っている人も、少なくないようです。
 水替えを面倒に思うようなら土佐錦は飼え(作れ)ません。
 土佐錦はきれいな水が好きな金魚と、昔から良く聴きます。
この言葉を誤解している人は、塩素を抜いただけの更水がいいとか、
苔も汚れのように扱い、綺麗に落としてしまいます。
 綺麗な水と言うと誤解されやすいので、
調整された清潔な水(当歳)
 夏場、朝は清潔な水が昼頃には出来て、明くる日には替える。
出来た水(親、二歳)
 夏場、替えた日は調整された清潔な水で、やがて進み次の日からは出来た水になる。
 三日も苔を掃除しないと苔の中に汚れが溜まり、汚れによって苔の活性が鈍くなってしまいます。水を入れ替えただけでは、苔の活性が戻らないまま、汚れと浮遊藻の活性を刺激して、たちまち水が出来過ぎてしまいます。
 調整された清潔な水とは、練れた水で、苔の手入れが行き届き、割水で調整した状態を言います。

 つづく
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