二〇〇七年 平成十九年三月発行
二〇〇六年 平成十八年度 第31回会報より 玉野叔弘

丸鉢の水替えの定義

 話しをしていると、何年も土佐錦に携わっている人でも案外、丸鉢の基本的な水替えを「他の金魚の応用」程度で済ましている人が見受けられましたので、先の研究会では急遽、水替えの定義的基本を確認することから始まりました。

 私もこの一ヶ月体を壊してしまい、魚を生かすことのみで精一杯、手抜きの世話をしてきました。イジケさせたり、詰まらせたり、目先を壊したり、さぼりの水替えによる弊害を痛感させられました。
 つい4日前からやっと通常の水替えが出来るようになり、初心を思い出していたところです。
 以前から、
  鉢から魚を出さず、
  苔の調整をしないで、
  汚れ水を何割か抜き、
  差し水をするようなことは、
定義的な水替えとは言えないと言ってきましたが、その基は野中進さんや近森さんの水替えに有ります。

 近森さんの水替えの手順を例にしてみましょう。
  丸鉢から洗面器へ澄んだ元水(魚の入っていた飼育水)と魚を取り出してから、
  鉢の水を捨て、
  洗車ブラシで苔をサッと擦り、
  擦られて出た汚れを隣の鉢の水を洗面器で掛け、鉢を傾けて捨てます。
  水道水を鉢へ直接入れて、
  洗面器の元水を半分鉢へ空けて、
  その分洗面器へ鉢の水を入れ、魚を新水に馴染ませます。
  洗面器を丸鉢に少し浮かべて、オーバーフローさせてから、
  鉢へ洗面器の水と魚を空けて終わりです。
 水道水と丸鉢の水温が同じぐらいの朝のうちでないと、温度差が大きくなり出来なくなると言っていました。

 まず、水道水直接ということに驚かされました。塩素の匂いがまったく感じられませんでした。川の水は半分で、その浄水分には塩素が入れてあるそうですが、あとの半分は地下水をまぜてあるそうで、蛇口から出る頃には塩素の影響は感じられないとのことです。
(注:この話は四十年前後昔の話なので、今の高知ではそうとう水質が悪化していると思われます)

 つぎに、以外と鉢の洗い方が簡単なことでした。

 その頃の近森さんは、言っていることとしていることに少し誤差がありました。
(今の私もそうなので人のことは言えないのですが)

 以前教えて戴いた水替えは、
  毎日水替え(夏場)。
  置き水は二日(夏を中心に春から秋)です。

 実際の水道水直接では、理想からほど遠い現状でした。
 近森さんご本人から理想として教えて頂いた、置き水二日の代わりに、元水を増やしていたようです。真夏は洗った後の苔の間に含まれている水を搾らずに、鉢を戻して少し置くと、底に一リッター程の元水のようになるので、洗面器にとって置いた元水を戻さずに、魚だけを戻すこともあります。そうしないと水が二日(一日置き)保たなくなります。
 この頃の近森さんの魚は以前より大きくはなっていましたが、肥りぎみで鼻瘤と肉瘤が付いてきていました。

 ここで水替えを言う前に、前提としての丸鉢がどのような状態だったかを見ていきましょう。
  モルタル製、近年の擂り鉢型2センチ、
  モルタル製、古い擂り鉢型厚さ3センチ、
  モルタル製、お椀型があり、
 一番の注目点は苔がビッチリ着いていることです。
 掃除する時に搾るようにしないと水が含まれているぐらいに、3ミリから10ミリにもなる理想の苔と言っている、ビロードとか絨毯に例えられるケイ藻です。
 苔が着いていないと、「元水がどのくらい」とか、「濃さがどのくらい」とか言う意味がないことになってしまいます。

 いつも言う標語ですが、
  水作りは苔作り、目先作りは苔作り、
と言う程、丸鉢とは切っても切れない前提となります。
 人事を尽くせば仕上がりを待てる丸鉢は、型のみのでなく苔の成せる技が加わっています。
  丸鉢の型は魚の型を決めます。
  苔はその型を一層土佐錦らしくしてくれます。
  水はその苔によってつくられます。

 置き水2日で替えていると、苔の付きや成長が良くなることに気が付きます。
 同じ2日置き水でも、溜池で1日ないし2日置いた水と、東京の水道水を鉢へ直接入れて2日置いた水では、苔の育ちや種類、バクテリアまで変わることもあります。  替え水の前提は溜池で2日置き水か、溜池で1日置いて、さらに鉢で1日置いた2日置き水。
 鉢で1日置いた方が陽の作用苔の作用が増し、熟れがさらに進みやすくなります。

 去年の我池では苔の作用が少なかったために、濁る青水の鉢がまだありましたが、今年は苔の種類、付きも良く、全鉢が透明感を保った青水になり、人に見せられる水になりました。割る元水も去年より倍程多くなり、苔の浄化作用が増していることがありありとしています。

 ここまで水替えの定義へ至る以前の前提で留まっていますが、水を語る上で欠かせないことので、さらにもう少し踏み込んでみましょう。

 研究会にて、苔の種類についての質問が多かったので触れてみます。
 新しい鉢で最初に生える苔は、多くの場合ヌルッとした緑藻が多く見られます。水は不透明感の有る青水になり、土佐錦には不適切となります。

 高知のように条件が好いと1年で理想の苔が着いてきますが、東京では、特に陽当たりがあまり良くない環境や、手入れが行き届いていないと、黒っぽい膜になるような苔が付き易く、良い水には物足りないものになってしまいます。
 ですが、苔が無いよりは良いので、とりあえず付けておいて、手入れによって好ましい苔へと改良して行きます。
 ケイ藻は流れの有るようなところに生えやすいので、流れという程のものが無い丸鉢では、清掃時の擦りと水替えの頻度が代役をしてくれます。
 頻度の激しい夏場毎日、1日置きの水替えは、流れによって水が入れ替わることの代わりになります。擦りが流れの作用の代わりをしてくれます。
 初めは苔が根着くように手で軽く擦ります。苔が増えてくると次第に力を入れ、大分生えたらタワシで軽く、次第に力を入れるようにしています。これを私は苔を訓練すると表現していますが、擦ると苔がしがみつくようになり、横より縦に伸びるようになって、絨毯状に生え易くなります。我池では通常柔らかめのタワシで擦っています。硬いタワシでは擦り過ぎになることがあるためです。
 近森さんが洗車ブラシで擦っていたのは、擦り過ぎを防いで調節するのに、格好のものだったからではないでしょうか。手で擦っても剥がれる苔があるので、毛足が長く目の粗いブラシは、無造作でも力の入れ具合や苔を擦る場所を調節するのに、やり良かったようです。
 夜のうちに沈殿したり、付着藻に取り込まれたり、隠れている浮遊藻と古苔を汚れと一緒に流します。
 苔作りは辛抱強さが必要です。新しい鉢では順調で3年、我池のFRP製の苔を付き易く工夫したもので、早いものは2年、平均3年から5年かかって、やっと役に立つケイ藻になりました。
 なかには10年かかっても良くならない鉢があったので、今年サンドペーパーを掛け直したところ、この一夏で役に立つ苔が生えてくれました。20年以上前に製作したもので生えが悪い鉢も、サンドペーパー掛けをもう一度やり直したら、今年全鉢が使えるようになりました。
 とは言え、役に立ってはいるものの理想の苔ではないので、生え過ぎると濁りやすくなり、タワシでの調整がこまめに必要となっています。
 苔は古苔と新苔が半々になるように調節。当歳では人間がしていますが、二歳、親池では魚が自分で調節をしています。

標語  自分の部屋は自分で掃除させろ。

 親、二歳は苔を上手に食べられるようになり、苔の新旧入れ替えが自然に進んで行きます。
 苔の作用の良い池では水替えも、中3日前後、3日置きから5日置き、苔にとって適度な陽当たりならば、1週間たっても替える程濁らない場合さえ有ります。ですが、親でも5日が限度として1週間以上は置かない方が無難なようです。
 丸鉢でも5日間を限度として苔を清潔にしないと、病気になったり、魚の形が変わったりすると言ってきました。
 病気になったりすると、「水替えが一日遅れたらなっちゃった」と言って、型が崩れても、病気になっても、土佐錦とはそう言うものぐらいに思っている人も少なくないようです。

  水替えを面倒に思うようなら、土佐錦は作れません。

 土佐錦はきれいな水が好きな金魚と、昔から良く聴きます。
 この言葉を誤解している人もかなりいます。塩素を抜いただけの更水がいいとか、苔も汚れ扱いして綺麗に落としてしまいます。
 綺麗な水と言うと誤解されやすいので、
調整された清潔な水(当歳)
 夏場、朝は清潔な水が昼頃には出来て明くる日には替える。
出来た水(親、二歳)
 夏場、替えた日は調整された清潔な水で、やがて進んで次の日からは出来た水になる。
 3日も苔を掃除しないと苔の中に汚れが溜まり、汚れによって苔の活性が鈍くなってしまいます。水を入れ替えただけでは、苔の活性が戻らないまま、汚れと浮遊藻の活性を刺激して、たちまち水が出来過ぎてしまいます。
  調整された清潔な水とは、練れた水で、苔の手入れが行き届き、割水で調整された状態を言います。

 前提は
  置き水をして、
  丸鉢に役立つ苔が生えている。
 水替えは
  朝、元水とともに錦魚を鉢より出して、
  鉢を洗い、清潔にして、
  苔の調節をして、
  元水を状況に応じて割り、
  オーバーフローをして、
魚を水温水質に馴染ませてもどします。
 元水は、理想状態の飼育が望まれます。ですがなかなかできません。
 我池の丸鉢70全部苔の状態が違い、丸鉢の型、陽当たり風通し、収容尾数、餌の量等も違い、一鉢一鉢水の状態が違ってきます。
 苔の働きが良いか、浮遊藻の濁りが強いか、付着藻と浮遊藻のせめぎ合いです。付着藻が勝っている状態が望まれます。
 良い状態の元水を、時期によって、その日の気温、日照、風、雨模様によって、元水の割合(割水)を調節します。
 鉢の置き場所の環境によって、鉢の型によって、陽当たり、風通し、置き水のしかたによって、割水を調節します。
 魚が長いか短いか、さらに長くしたいか短くしたいか、
魚が硬いか柔らかいか、
泳がせたいか停めたいか、
品を求めるか求めないか、退色具合によっても調節します。
 毎日の水替えでは、その日に水が出来るよう調節します。

 わざわざ前提や定義まで持ち出して、何故水替えをしなくてはならないのでしょうか。
 それは水を作るためです。
 水を作ることは、土佐錦作りの前提だからです。
 土佐錦作りは水作り。
水作りは水替えから、
水替えは定義が基準、
前提があって定義が成り立ちます。

 前提から浮かび上がる割水は、土佐錦作りの[限界から限界]への水を作ります。抽象的ですがこの範疇に土佐錦魚の水作りは納まります。
 例えば、水の薄さが限界をこえると魚は余分なものが着いて、ガサツになり、木偶の坊になります。
 限界を遥かに超えると、オバケになってしまいます。
 濃さ(古さ)が限界をこえると魚に縮みや溶けが始まり、必要なところまで損なってしまいます。
 限界を遥かに超えるとイジケになってしまいます。
 理想の苔が繁茂し、理想の水が出来ればそれに越したことは無いのですが、東京ではなかなかできません。役に立つ苔がやっとです。ですが、温暖化のせいでしょうか、やがて東京でも近い物が出来る日が来そうな感じです。
 仮に理想の苔が在るとします。すると手がかからなくなると同時に、限界の幅が広がります。それは苔の働きが補ってくれるからです。水が薄ければ早く濃くするように、濃ければ薄くするように働いてくれるからです。
 しかも苔を食べるとブクブク太らずに、締まるところは締まり、腹は福与かにでてくれます。
 世話の手がかからなくなり、しかも魚は出来てくれます。
 すると人間の性でしょうか、手抜きを始めます。初志や目的を忘れないで水準を高く持ち続けていれば、体力は衰えても年の功が魚を維持してくれるようです。

 水替え最後のオーバーフローを補足しておきます。
 私はオーバーフローを重要に位置付けて、必ずしています。
 当然、水は鉢に一杯に張るようになります。丸鉢はそうするように設計されており、風通しや苔等にも影響します。

 冒頭のように書き始めた切っ掛けは、経験ある会員が意外に水替えの意義を知らないと感じたからです。
 書く目的は、原点を知ってもらいたかったからです。
 原点を知って始めないと、とんでもないところから出発してしまいます。
 原点を知らずに土佐錦魚を育てようとすると、外れた出発点から始まってしまいます。育っても矢野城桜氏の言うように、「土佐錦属」であっても「土佐錦」ではなくなってしまいます。
 何かあった時には、「死んじゃった」で片付けてしまうことが往々にして起こるようになります。
  知らなくして行う程恐いことはない。
  知っていて行う程罪深いことはない。

 一度妥協をするとそこから再出発することと同じ、次に妥協するとまたそこから始めてしまいます。段々妥協点が重なり、目的の次元が原点からじわじわと離れてしまいます。
 人事を尽くさなくては、天命を待つことは出来ません。
 また間違ったことを尽くしても同じ結果になります。
 私の体験では、歳をとると気力体力的に初志の貫徹が難しくなるようです。やけに大人びいて上手に手抜きを始めるようです。そんな自分がさびしくなるときは、そんな自分が作ってしまった魚を見るときです。

 今提唱されてほとんどの人がしている水替えと、昔の水替えは少し違っていました。比較してみましょう。
 近年の丸鉢の場合は毎日か1日置き、二歳親でも2日置き、長くて3日置き、私は勧めませんが夏場1日置きの人もいるぐらいです。
 昔はもっと長く置きました。丸鉢で毎日から2日置き、角鉢で5日置きの人もいた、と聞いています。
 これは、今のように蛇口をひねると直ぐ出るような、水道やポンプが普及していなかったので、井戸水を鉢までひいたり、運んだり、替える作業が大変だったことが考えられます。
 また、水質や空気、日照、風通しが良く、温暖化やクーラーによる影響も無く、自然環境、飼育環境が良好だった。
 苔も良く生え、餌も良質の天然物、鉢の環境も良く、当然水も長持ちしたと思われます。
 水を長持ちさせる分日除け板は、今より多用されていたことも頷けます。
 その頃求められていた魚は丸手で品よく色濃く、そして今より長生きでした。頻繁に替えて寿命を縮めるほど大きくすることは、はばかられていました。
 今、私は当歳の初めは宮地式、その後は野中進式や自分で工夫したやり方を、親は田村式を提唱しています。  この頃はやっとその水替えを少々実行できるようになってきました。

 まず、土佐錦魚はどういうものか、
どのように作られて来たかを知って、
自分はどのような土佐錦魚を求めるかを定め、
そのための水替えを探って行くことも、
土佐錦魚のよろこびの一つではないでしょうか。

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