一九八二年、 昭和五七年三月発行、
一九八一年度、昭和五六年度第六回会報にて  玉野叔弘
 (会報では会の立場として個人名は載せず無記名にしてあります)

 私の文は難解だと指摘を受け、なるべく解り易く簡単にまとめたので、ここでは少し書き添えた部分があります。

審査後記

 大会もつつがなく終わりましたが、皆さんの成績はいかがでしたでしょうか。今回は万歳をした人が一人だけ居た模様です。
 沢山の魚が集まりましたが、
 どうしてこの魚がもっと上に昇らないのかな?
 あの魚はどうして下に落ちないのかな? 等首をひねった人や、錦魚を始めたばかりの人には上位の魚に差が無くて、全部良く見えたのではないでしょうか。
 はたして、どんな魚が良いのでしょうか。
 ベテラン達の間からも「この頃、魚の型が少し変わって来たのでは」こんな声も聞こえてきましたので、今回の魚を対象にして、話を進めて行きたいと思います。
 この間、こんな声が聞こえてきました。
「魚が長くなってきたんじゃない」
「腹の出ている魚が少ないからそう見えるんですよ」
「腹がどんな風に出たらいいか解っている人、少ないんじゃない」
「みんな、尾ばっかりみているからなー」
「勿論、尾は大切だから大いに見るべきだけど」
「そう、尾はもっと前極めを強調すべきだなー」
 いろんな事がでてきました。全部良ければ理想の土佐錦なのですが、好みは時代とともに変わってしまうようです。高知の会でも世代の交代時期と思われ、出陳される魚の好みが変化しているようです。当会の傾向はまだ経験の浅さを映してか、作り易い型が多いようです。この作り易い型が理想を追う目には、物足りなく感じるのではないでしょうか。
 では、昔は。
 昔と言っても十年前後の経験の人が多いので、一昔前と言うことになりますが、果たして今とは違っていたのでしょうか。ずっと良かったのでしょうか。
 当時東京で、土佐錦はめったに見られませんでしたから、高知での話になります。昨日のように思い浮かびますが、もう一昔前になってしまった高知の会を、紹介しましょう。
 土佐錦魚を脈々と伝えて来た田村翁が、当時バリバリの審査員長。
 土佐錦魚を極めたと言われる名人宮地翁も、双璧として審査員長と同様に審査へ携わり、加えて少数ながらも魚を飼い現役を保ち、毎年版で押したような同じ型の魚を魅せて頂きました。
 若手は?(五十代、六十代)温厚な人柄の刈谷氏、魚は素赤が多く、オーソドックスな型の血統と、少し付きが高めの傾向が見られましたが、口が細くて腹形の理想的な系統を基本に飼育している、研究家です。
 お伺いするといつも魚がズタズタに切り裂かれていて、突つかない魚はいないのに傷口が判らない、手術の名人で実験家の門田氏。
 ダイナミックな内に大きくて透明感のある尾は羽衣が舞うよう、返りが独特な系統をもつ、現会長の近森氏。
 当歳では中型で、締まりがあって三角で、尾は小さいけれど二歳でアッと驚くウルトラ変身、魅力的な系統をさらに作った野中進氏。…………………侍達がひしめいていました。
 当たり年と前後の年は好成績をおさめ、かわるがわる誰かが独占する様子でした。
 自信のない魚は出陳しない、手ぶらで大会へ出向く人。
 独占すべく十数尾下げて行く人。
 自分の魚が優勝間違いない、と思っている人の集まりですから、当歳の審査は白熱。
 東京の人間には、人の魚のけなしあい、喧嘩に見える程の凄まじさ。目を丸くしましたが、これが信念ある自分の飼い方と見方の主張に他ならない、と気づいてからは微笑ましく拝見させて頂きました。
 こんな審査をくぐって来た魚達ですから、何れが優勝しても仕方がないと思える程です。が、これからが本番の審査なのです。
 その前にちょっと説明を。上位は一位が優勝、二位が一等、以下二、三、四、五等まで、たった六尾しか選びません。あとは等外。
 可哀相ですねー。貴方だったらどうします。そう、ベストテンか二十までは選びますね。皆が苦労して育てた魚だし、楽しみですから。
 本当の実力の世界はそんなに甘くないのです。いい魚がいなければ『優勝魚なし』なのだ。ですからこれからが審査員長の出番なんです。高知のこの頃の魚は頭からの背形が盛り上がっていません。
図E (頭と背の付け根が流金のように盛り上がっていない)
 その上、図Eのように直線かわずかな丸みを持っています。目先は尖っているし、腹は三角おむすびみたい。骨格は太いし、尾筒も太い。尾は小振りだがバンと張って前極めもいい。朝顔も綺麗に仕上がった、中型で締まりのある魚ばかり。それでも順位が付けられて五等が決まりました。
「これは品が落ちる」
 片方の頬に傷程のくぼみが見られ、口下から腹にかけての線に物足りなさが感じられました。
 次々と田村翁の決断が下されました。
 これには誰も口を挟みません。
「この魚は肌の滑らかさが足りない」
「惜しいが手術の跡が見える」
「腰折れが紙一重深ければもっと腰を据えたろうに」
「この魚はまるで金座が泳いでいるようだ。力強い、輝いている、金座が形作る前が見事だ」
 優勝の魚は反転を魅せていました。体の全てを駆使して、可愛くひらひらと優雅に………………。
 高知の戦後第二黄金期と言える頃の話です。
「本当に素晴らしかったのです」
 だから、東京にこの会ができたのです。
 そんな魚達を手本にして理想の土佐錦魚をつくろうと、真似をすることから始まりました。そして、今でも手本は変わっていません。
 ここで話はもとに戻ります。
 この会の初期の頃は目標がハッキリしていました。昨年までに、目標が惚けてしまったのではないでしょうか。皆が上手に育てられるようになり、それぞれ自分なりの形になると、様々な魚が出てきます。
 ここで大会の魚に標準を合わせ、目標に照らしみましょう。何しろ見本が見本ですから、点が辛くなることは悪しからず。
 まず、親魚ですがズバリ一言で言ってしまえば「お粗末」、魚の質も出陳尾数も。
(現在の高知の親も以前とは違うので救われてしまいます)
 長手と思える程の腹のない魚、そのような魚に限って尾は良い魚が多かったようです。親になるにつれて腹形は痩せる傾向にあるので、当歳では出過ぎかなーと思える程でも、バランスがとれていれば丁度なのです。ここで体型をとるか尾をとるか、そんな問題もありましたが、この討議はもっと高い次元ですべきだと思います。
{体の作りを出来ない人が、尾を第一にすべきと言っても、説得力が伴いません。たかが経験十年また二十年の人が伝統を知らずに、自分の見方を唱えても、根拠に薄く、芸術性のない自己主張にしかなりません。}いかがでしょうか。
 親魚東大関の魚は当歳から四歳まで役にも入れず、五回大会で東小結、六回でやっと一矢を報いたのです。近森系の血統と、六歳まで守り、作りを見据えた飼育。段々良く鳴る法華の太鼓の出世魚ですが、出世を助けているのは外ならぬ、出世しなかった他の魚なのです。五回大会の役魚で六回に出陳されたのは、わずかに二尾。また、若い三歳魚も対抗できませんでした。
 当歳を楽しむのは人情ですが、土佐錦魚の本当の醍醐味は親にあるのではないでしょうか。産まれてから完成まで見通す錦魚の妙味も、ここに定まると思います。皆さんに親魚を作る辛抱を望みたいと思います。
 親の埋め合わせは二歳がしてくれました。全体的には平均を保ち、また両大関ともに五回大会当歳魚大の部大関です。第七回大会には横綱候補が二尾もいるのです。二歳の部門は他にもいろいろな意味で楽しみです。二歳東大関が、五回大会の時当歳で西大関に甘んじたのは、弱さを持っていたためです。二歳では弱さをもたらした大きな尾と細い尾筒を見事大成させ、腹も肥り、見応えのある魚になっていました。三歳に向かっては、大きすぎる程の尾と、ふくよかな腹と、作られた目先を保てるかが、肝要になるでしょう。
 二歳西大関は五回大会では当歳魚東大関でした。これは素直さ、木目の細かさ、品の良さを買われたのですが一方に、物足りない仕上がりを見せていました。この点が二歳になっても克服されずに、西大関に甘んじることになりました。しかし心配はありません。このタイプの魚は四歳五歳で見事に大成します。何と言っても目先の良さが群を抜き、品格と総体的な面で他を抑えました。この魚が横綱になるには保つことより、力強く攻めることが肝心です。
 当歳魚は年々技術が向上し大変嬉しいことです。皆の頑張りが実を結び、初級から中級、最早上級の人もいるので、名人へ目標を置いてはいかがでしょうか。理想の魚を目に浮かべて、あの目先を作ることへ。背形を、腹形を、そして尾を、そうすればいろいろの問題も起きなくなり、誰が見ても素晴らしい本当の土佐錦魚が出現すると思います。
 長手が目標になるはずがありません。目先が太くて良いわけも。とても難しいからと妥協しないで下さい。
「口が太くても鼻瘤が付いても、親になれば同じさ」なんて、現実に直面していても、理想を目指して言わないで下さい。口の細い魚に極めれば容易には太くなりません。腹形を極めてしまえば空っぽでも凹みません。体験すると不思議に思える程ですが、これも事実なんです。
 それから、これから話すことは大サービスです。あんまり意地悪を言いましたから、これからの審査はこんなところが辛くなるなんてことをバラしてしまいます。
 一回大会のときは、尾に出来たかなりのヒダや重なりも問題にされませんでしたが、年追うごとに辛くなって来たと気付いたでしょうか。まだ経験の浅い皆さんに、ヒダを無くす飼い方や手術を求めても無理だったからです。高知の師は成し遂げていました。こんな風に会の実情に合わせて審査も変化しているのです。
 六回大会の当歳は前極めの良い魚が少なかったので、東大関はそこを買われました。尾の後は皆さん上手に育ててきますので、これからさらに前に対する審査が重要視されることは必至です。
 七回大会あたりで一番視られそうなのが腹形ですね。二歳の両大関ですら標準の域を出ていません。標準とは可もなく不可もないことも含んでいます。至高の芸術性や目覚ましいものや冴えは含まれていません。腹が福与かでも目先が太くては、目先が良くても腹が貧相ではバランスを欠いてしまいます。立派な腹形を高知のように求めれば、やはり点が辛くなります。
 さっきも出て来た尾と体とどちらを重くみるかは、土佐錦独特の目を引く特徴を持っているのは尾ですが、作りの要素の多くは体にあります。これはバランスの問題ですから、何れに欠点があっても、いずれが良くてもいけません。採点は五分五分です。これはこの先も基本として変わりません。
 もう一つ辛くなること請け合い、手術です。
 会報の土佐錦魚参考をあとで見て下さい。その九の4に治癒していれば差し支え無し、とあります。治っていなければ審査されないのが原則ですが、初歩的実情に合わせて審査されてきました。これからの実情に合わせれば、本来のように審査されないか、相当落とされるはずです。実情を別にしてもその境目が治癒という言葉です。完治していても治り方が問題視されます。
 例えば桜尾、審査規定十二に軽度の魚は同等に審査するとあります。これは、三つ尾が最良ですが、桜尾でも良いんですよ、てなことです。さらに、深い桜尾はかなり落とされますよって、言っているんです。となれば、門田さんのように当然手術です。土佐錦の尾には、他の金魚に比べて再生力が大きく備わっています。
右図  桜を手術するときの基本は、尾芯の先を一ミリぐらい食い込んで切る訳ですが、どこまで生えれば治ったと認められるのでしょうか。右図を見て下さい。
 まず、基本の目安として尾芯が生えて伸びることです。はじめは細くて伸びても後から太くなりますが、細くても審査の対象には合格。尾芯の直ぐ脇の尾が、丸みを持って来たら審査の対象になりますが、いずれも、上がいれば落とされます。何れにしても紙一重、微妙なところは審査員にお任せ下さい。
 この時、尾芯が伸びなかったものの、尾が形態を成しても袋尾になった場合は、元来欠陥と見られても仕方ないのですが、一つの欠点として、度合いによっては審査の対象となります。これも実情。
 手術でなった時も、手術以外の条件でなったものも同じ扱いです。
 尾幅が狭い魚は尾芯が長く、尾幅が広い魚は短いのが通例です。尾芯が長ければ桜になりにくいし、手術もし易い。短ければ桜になり易いし、手術の治る率も低くなります。小振りな尾に厚みを持たせてシッカリ作れば、重なりも出にくく、桜で悩むことも少なくて済みます。
 いま皆の好みは大きな尾に傾いていますが、尾の大きさこそ当歳でこぶりでも、親になって成熟すれば大差なくなります。当歳で小さいからとハネてしまうと、大失敗をしてしまうことがあります。大きく伴わない尾を若くして持つと、保つことが難しく、無理をかけて老い易いのが普通です。当歳で四角い尾だった魚が、六歳で丸い尾になり、七歳になっても成長している例もあります。
 今度は、尾に重なりのある魚はどうなるでしょう。
 本来の高知の基準に近づくために、一層高度なところで辛くなります。この襞、重なり、もっと範囲を広げて尾の癖は、人間が勝手にこしらえてしまった土佐錦の型を、自然がもとに戻そうとする現れです。土佐錦を理想に近づけようとすればする程、自然から大きな反発を受けるでしょう。これに対抗する訳ではないのですが、土佐錦の尾には強い再生力が生じました。土佐錦と手術は切っても切れない宿命があるようです。
 仮に、重なりが無かったら理想の土佐錦がいたとします。
「襞、重なりがあっても仕方がないさ、それが自然さ」なんて受け入れてしまうのは、土佐錦の美を求めて創ってくれた方々、土佐錦を伝えてくれた方々へ言える言葉でしょうか。理想を求めるのも、重なりを取り去るのも、ともに人間が負う責任なのです。そんな魚を少しでも理想に近づけてあげようではありませんか。ヒダ、重なりがあると近森さんが言うように、ハネられて捨てられる魚になってしまいます。そんな魚の命を助けることにもなります。
 昔の高知の大会ではヒダ、重なりのある魚は入賞しません。
 理想の魚なんて言ってしまえば簡単ですが、一生かかっても実現できることかは解りません。
だからと言って簡単なところで満足せずに、
「みんなでやって見ましょう」
 奥が深いから面白いのです。

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