一九八〇年、 昭和五五年三月発行、
一九七九年度、昭和五四年度第四回会報にて 玉野叔弘

東京と高知、気候と飼育の比較

 まだ思い起こせる、昭和五三年を例にとって進めてみよう。
 気象庁資料による下表を一読すれば瞭然だが、解読にあたって前提となる、両地方の四季の印象を念頭に置いて目を通し、参考にして戴きたい。
  冬期
東京 平年並みで順調。
高知 例年になく冷え込み、異常気象と言われ、産卵前の親魚にかなりの影響を与えた。
  春期
東京 平年並み、冬期に続き、順調。
高知 数十年来の異常気象。初旬の冷え込みきつく、産卵前の親魚にかなりの影響を与えた。
  夏期
東京 空梅雨、早くも真夏を思わせる。真夏日、熱帯夜の記録を塗り替える。
高知 低温つづき、集中豪雨、台風に悩まされる。
  秋期
東京 長雨、急激に冷え込むが、後半持ち直す。
高知 本来の南国に戻る。
 東京では、順調で病気もなく、秋の長雨を除けば、まさに土佐錦魚にうってつけの年であった。
 高知では、冬春夏と記録をつくる低温つづき、秋にやっと回復するが、東京とは反比例と思える程で、土佐錦魚には試練の年であった。
  全国大会の印象
 当歳魚には試練の春の初期生まれでも世話が行き届き、圧倒される魚も出品されていたが、前年より大形魚に長魚が少なく、低温であったためか、大きさでは精彩を欠いていたようだ。
 当歳魚は、春後半産まれが多く出陳されていた。ちなみに当歳魚の優勝は後半産まれ。一等は前半産まれであった。上位に小粒の魚がかなり昇り、これは数年来見られなかった現象だ。
 二歳では一見して親と大差なく、大きさ、仕上がりも親に匹敵する。親魚と並べても遜色無く戦え、その中に二歳なりの魚がまざるという感じだ。
 親魚では三歳が多く、四歳、五歳と段々に希少となり、総体に比して、親魚の出陳が驚く程少ない。

  気温
高知と東京の比較表  冬は高知が若干高いようだが、暖かくなるにつれて記録的暑さの東京が、異常気象の南国を逆転してしまった。全体としてみると異常気象で冷え込んだ高知と、順調で望ましかった東京と大差ないことは、面白い現象と言える。東京では例年、高知の異常気象内で飼育していることになる。してみると、このとしの六月七月産まれの当歳魚が夏の低温にも関わらず、大会へ立派に出陳できるとは、高知の不思議と思える。
 最高気温を見ていくと、高知の四月が二十℃。東京の五月が二三℃。高知の十一月が十九℃。東京の十月に二十℃台。やはり高知では東京より春一ヶ月秋一ヶ月、合計年二ヶ月間の成長期に差があることは、異常気象下であっても事実と感じられる。高知では十月に手術をする会員も目に留まるが、これは十一月に成長することを裏付けている。

  日照、日射、降水
 どうやら、ハッキリした相違はこのあたりにあるようだ。六月を見ると、降水量が比較にならない。高知とはこれほど雨が降り、日照時間が東京の五十%程度なのに、日射量が三十%減にとどまっている。七月に至っては驚異的な降水量だ。それなのに、日照時間と日射量は、東京よりも多く約二五%増だ。東京では考えられない日の強さを物語っている。夏の朝は案外涼しいが、日が昇り始めると途端にカーっと暑くなったことを思い出した。
 高知では一日当たりの降水量が、六〇〇ミリ迄は排水能力が有ると聞くが、この年は市内にやはり浸水したそうだ。
 日照時間と日射量は、三月よりも四月の方が東京、高知共に低下している。しかし気温は季節通りに上昇していて、世話次第では産卵が行えたことを感じさせる。
  風速
 高知は風が穏やかな土地のようだ。平均して一m台、普段なら温暖な冬と暑い夏を想像させる。東京では少ない時で二m台、六m近い月さえある。
 当歳魚において、丸鉢内の円を描く泳ぎは、水面付近の温度上昇と、風との相乗作用と言われて来たが、これは東京でまさに当てはまり、高知では圧倒的に温度が主因と思われる。
 風は酸素補給に最も必要であり、また魚の健康に欠かせないものだ。だが、東京では飼育場所を確保することが困難であり、屋上、ベランダ、室内が多く、従って風通しさえも望めぬことがままある。逆に、ビル街の屋上や、マンションの谷間に位置しては、ビル風の被害さえ被ることがある。

  温度
 平均してはやはり高知が高く、東京の長雨時に逆転している程度で、この年に限っては大差はない。魚との関連が明確に掴めず、皆さんのご意見を伺いたい。

  その他
 他に魚と関連の強いものに、日の出、日の入りが考えられる。ご存知の通り長い日本列島は、ほぼ中央に位置する明石市を標準に時刻を決める。大げさに言うと同じ十二時でも、東京と高知では太陽の方向が異なる。実際に双方の話を聞き合せると三十分、印象的には一時間の相違と思われる。
 東京では夜明けが早いため、ミジンコ採りは四時前後に現場へ到着し、夜の開けるのを待ち、順調に獲れれば、早々に引き上げて出勤前の世話が出来る。これは夜明けが早いための利点だが、早々毎日では体力がつづかず、魚の目覚めに飼い主はついていけないのが実状になる。
 高知では朝、魚の目覚めや活動とともに人間が起き、夕方は強い西陽が遅く迄当たり、水温の低下を防ぎ、最終給餌時間、餌の消化や成長に大きな差を産み出す。また、夕方の水替えさえも許容する。
 澄んだ空気も忘れてはならない。太陽を無駄無く受け入れ、スモッグ等、東京とは大違いだ。高知では雨水を池に入れる会員が比較的多く、これは大気中の不純物が作用しての、水質急変が少ないことを実証している。
 ともに良質の水は苔の質を保ち、作用を促進させ、魚に良い影響を与える。
 高知でただ一つ困ることは、集中豪雨、台風の多いことだ。台風銀座と仇名す程に会員や魚へ、多大な被害を与えている。

  やはり高知は南国、土佐錦魚は南国で産まれた魚
 釣好きの高知の会員の話に、冬海釣に船を進めると間もなく暖流に差し掛かり、海面一帯に陽気が立ちこめるのをみるそうです。
 南に暖かい海、北に山のつい立、二月に冬籠りを解き、水替えすべく魚を手にした途端、卵をこぼしたというエピソードある。しかし、二月三月の産卵よりも、四月五月に良魚が産出する確立が大きくなる。そのため産卵を抑えるのに、苦慮することもある。
 角鉢で産卵された稚魚は、間もなく丸鉢に移される。丸鉢は昔から擂り鉢型だ。強い陽射しに沸き易く油断がならない。それなりに効率は良い訳だが一長一短で、沸きの緩やかなお椀型が使われるようになって来た。
 丸鉢の水深は十五cm~二十cm程が多く、表面積と底面積に著しい差があるため、カーッと照る厳しい陽射しに水温差を生じ、当歳魚が暖かい水面に円を描いて泳ぎ回る。前置きが長くなったが、この泳ぎこそが土佐錦魚を作る時、最も必要になる。
 この泳ぎから骨格が出来、筒が太く、付きが良く、親骨が抑えられ、渡りが成長し、反転が大きくなる。
 秋の朝に反転が始まると魚は止まり、腹形も増し、仕上がりに向かう。この時狭い水底がおおいに役目を果たす。高知の気候と丸鉢無くして、土佐錦魚は誕生し得なかったと言っても過言ではないだろう。
 だが、親魚には少々酷に思える。水を濃く保てない宿命にある気候は、頻繁な水替えを余儀なくされ、魚は肌の老化を促進させ、過度な成長は寿命を縮めてしまう。
 浅い水深、狭い飼育池、強い陽射しはまたたく間に酸素か飽和をつくりあげる。動きの鈍い親魚は、平付けで大きな尾にたちまち気泡を付けて傷めてしまう。
 成長の面から見ると大きく成長させることはらくで、過去の大会に直径三十cm大の審査用桶に入らず、六十cmの桶を特別にならべるという、驚くべき親魚が出陳された。この魚は流石に参考出品として審査の対象外だった。あまり無理をせずとも成長が望める反面、抑えることは無理をすることにもなりかねない。

  一方東京では
 東京にいる親魚がわりあい長寿なのは、気候が親に適していると思われる。冬籠りにも保温を施し、東京の低温下を支障無く維持している。産卵も自然温で五月には間違いなく望め、タマミジンコもこの頃には現れる。
 二歳魚は、それなりの標準的な仕上がりに、三歳で親魚なりの仕上がりを多く見せるが、うっかりしていると、四歳を待たなくてはならない例もある。大会出陳時見られるように三歳四歳は盛りで、五歳六歳の出陳を楽しむことができる。
 過去、全国大会で親魚優勝、一等の例に東京出陳魚を多く見ることができる。近年には、二歳魚の上位入賞もあり、飼育技術の向上がうかがえる。五四年度全国大会に、東京出陳魚が当歳魚優勝、一等に並び、東京会員の精進を物語っているにほかならず、賛辞を惜しまない。
 当歳では、南国の陽射しが必要であり、総ての基礎に影響を及ぼす。これを補うために、幾多の面で研究を心がけ工夫を凝らしている。例えば、丸鉢の型一つでも擂り鉢型お椀型を基に、新型へと会員個々に勧められている。直径、水深、角度をどのようにすれば、水温を効率良く求められるか。魚の習性をみとり、秋の仕上がりをどこまで望めるか。水替えの頻度◯苔の付け方◯鉢の洗い方◯餌の種類や与え方等々、限りなく試行錯誤の連続である。また、相互の結果を連絡しあい、実践している会員の進歩は目覚ましく、個々の条件のもとに奮闘している。
 しかし、南国の気候無く同等の成長を望めば、素直な成長に歪みが現れて、目先や頭から背にかけてのなだらかさを欠いてしまう。背幅、腹形、尾筒にと太身を増し力強さは感じられるが、恐ろしく品を損なう。逆に少ない陽射しに甘んじて怠ると、いじけ易く、小さいままで終わってしまう。高知の名人と言われる人の言葉に「土佐錦は流金とは違う、背が盛り上がったりしては、土佐錦ではなくなる」と在ります。

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